Harvest Moon
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一周まわって。

31/5/2020

 
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ラーメン食ったどー!

目の前にどんぶりが置かれた途端、
先ずは、お久しぶり「ラーメン写真」を
撮ろうと思っていた事もすっかり忘れて、
レンゲで数杯「ズズーっ!」とスープをすすってしまった。
私はホントにラーメンが好きなんだなぁとつくづく思う。


スープは非常に熱かった!
上顎の薄い粘膜がやけどしたのが分かった。
ラーメンスープのやけどは、美味しい証なのだ。


ぼくが生まれた沼田町には駅前食堂を含めて「街の食堂」が
3軒あった。そのうちの一軒が「母の実家」の「北条食堂」だ。
小中高の学校帰りに寄っては、おやつ代わりに「麺」を
好きなだけ食べていた。

当時は鍋焼きうどんが好きで鍋焼きの具を勝手に山ほど乗せて、
「マイ鍋焼きうどん」を作って食べていたので、
札幌の貧乏学生時代になってから、奮発して有料の
鍋焼きうどんを食べた時の印象は、「値段がはる割りには 
ずいぶんしょぼいもんだなぁ。」というものだった。


私の実家は駅前旅館、宿の主人の「おじじ」は、
頻繁に夜泣きする私を抱いて困り果てている母に
お客に迷惑だから黙らせろと言って叱りつける。
吹雪の夜でも旅館の外に出て私をアヤしていたらしい。
私の「声帯」はその時に鍛えられたのだ。ん?

ある夜、なかなか泣き止まない私を連れて、
二丁ほどは離れた実家の食堂まで来てしまった。
泣き続ける私に「おばば」は、うどんを一本口にいれた。
するとあんなに泣いていたのが嘘のようにピタリと
泣き止んだらしい。
以来、夜泣きするたびに母は私を背負って実家に戻り、
私の口にうどんを放り込んだらしい。

「もとよしぃ、あんたはホントに夜泣きする子でねぇ。」
で始まるこのエピソードを生前、母から27回聞いた。


札幌ラーメンブームの火付け役となった味噌ラーメンを
初めて食べたのは実は「北条食堂」だった。

実家の食堂は縁のあった旭川ラーメンの「青葉」に
教えを受けていた。豚骨と鶏ガラに数種類の野菜、
そして香りのいい煮干しとアジ粉。具には、ネギ、シナチク、
渦巻きナルトと麩に焼豚。ブームが到来する以前の、
昔ながらの北海道ラーメン。中華蕎麦とは別物のラーメンだ。

北条食堂が休みの日、小腹が空いたので何か食えるだろうと
店に顔を出したところ暖簾をしまったガランとした店の厨房で、
おばば、おばちゃん、母の食堂3人組が何やら
理科の実験のような事をしている。

「もっとミリンをたしてみたら?」
「白味噌だけだとなんか足りないわねぇ。」
「ショウガ入れる?ニンニクは?」などどやっている。
「何やってんの?」と尋ねると、
「いまね、札幌でね味噌ラーメンが流行ってるのさ、
だから今度ウチの店でも出そうと思ってね。」
「へぇ~、でもさ、作り方分かるの?」
「だからいまみんなで作ってるっしょ。」
「食べたことあるの?」
「ないけど、食べてきた人に聞いたから大丈夫だべさ。」
子供心にもホントにそれでいいのか?と思った。

何日か後「もとよし、味噌ラーメンだべる?」と母。
見ると食堂の壁に「味噌ラーメン」と書いた
真新しい紙が貼ってあって、ちょっと都会の顔をしていた。

断る訳にも行かず、生まれて初めての味噌ラーメンを食べた。
僕は「青葉」直伝の醤油ラーメンのほうが好きだったが、
この「味噌ラーメン」はブームにも乗って次第に
「北条食堂」の一番人気となっていった。
そして僕は、都会の札幌で一人暮らしを始めた。

​
うどんからラーメンにチェンジしたのは、札幌に来てからだ。
大学一年の初夏、同じ下宿の松橋が旨いラーメン屋さんを
発見したと教えてくれた。僕がラーメンに感動したのは
この「糸末」という店の「味噌ラーメン」だ。170円だった。
ちなみに学食のうどんは35円だったと思う。
それ以来、ここ札幌で本場「札幌ラーメン」の名店を
探し出しては
お金と時間を見つけて通い詰めることになる。

​
デビューして全国のラーメンを食べ歩くようになってからも、
僕の中で「札幌ラーメン」が一番だと思っていたが、
ギトギト豚骨に惚れ、背脂、鶏白湯に魅せられ、いつしか
ふるさとの旭川ラーメンの味に戻り、ラーメンとは別物だと
思っていた「中華蕎麦」に心が動くようになってゆくのだった。


コロナのお陰で絶っていた外食ラーメンを久し振りに
食べる段になり、一軒を選ぶとしたら、さて
どの店にしたものかと考え尽くして(大げさではない)
たどり着いたのは、札幌ラーメンでも豚骨系でもなく
「中華蕎麦系」であった。

なるほど店の味も、ラーメンの好みも
人は年齢を重ねながら変化してゆくものなんだなぁ。
今は全国各地の美味しいラーメンをどれも愛しているが、
一周まわって​私の中での一番は
「おふくろの作ってくれたあのラーメン」かもしれない。

味噌でなく・・・・醤油ね。




薔薇、紫陽花、躑躅。

28/5/2020

 
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​今日は久し振りに散歩してきた。

僕の気分も「人生はこれから・・」といいたげな
目覚めたばかりのとりどりの花たちに囲まれて
思い切り華やいでいました。

バラ、あじさい、つつじ・・・
なんでこんなに難しい「漢字」にしたんだろう。
「字」をはめた人の思い入れを聞いてみたいね。
深いんだろうなぁ。

小さなファミリーが、小川に降りて「ザリガニ」を
捕っているのが見えました。

そうだ、「MoonMovie」に「紫陽花」をアップしたいなぁ
と思い、探したんだけど残念ながら「在庫切れ」でありました。

でも、「バラ」はあるんですよ。
28年前のあのディナーショーで「サルビアの花」の次に
唄っていました。「花」ジリーズだったんかね。

なので、次回の「MoonMovie」は「薔薇」で行ってみるね。
同じ感じが続きますけど、続編ぽくてそれもいいね。
​いま、作業中です。

歌詞を間違えてますけど、換えがきかないので、
ご勘弁くださいませ。


​

私はいつも「迷走」してる・・最終回

26/5/2020

 
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念願だった私だけの「myマントラ」を
先生に伝授していただいたのは、
講習の何日目かの個人授業の時でした。

わたしのは5文字。口外してはいけないらしいです。
今でも、このマントラは「メモ」しなくてもちゃんと
憶えていて、「爽やかな朝だし「瞑想」でもするか」
となった時、勝手に頭の中でまわりだします。

目を閉じて、そのマントラを「最初はしっかりと声に出して
唱えます、そしてだんだん小さな声になって行く、
今度は声に出さないで、頭の中でマントラを唱える。
最後はマントラの言葉をなくし体中で波動だけを感じて・・」

うん、言葉にするのは難しい。
なんとなく分かってもらえた?

「マントラ」を身体の中で波動として感じ続けながら次々と
よぎっては過ぎて行くゆく「雑念」という「さざ波」に
心を囚われないようにしていると、そのうち
心のナチュラルハイが不意にやって来る時が・・・希にある。
 いや、全然ないが、ホント希に来る時はある。

初参加の会員には後日「二泊三日のセミナー」が用意されて
いたが、前回書いた様な理由もあり「myマントラ」だけ貰って、
私はTMの元を去ったのでした。

今はもう少し深入りしてもよかったのかなぁ、と思う事も
ままありますが、すべて世の中はタイミングですからね。
僕にはこのくらいが丁度いい。

その後は、ひとりで朝夕二回のメディテーションを
楽しんでいました。(きっぱり過去形だわ!)
最近はほとんどサボってましたが、
コロナになって回数が少し増えましたねぇ。


もしも皆さんが、私もちょっとやろうかなと思うのなら、
さわりを少しだけ・・・
椅子に軽く座るか、胡座をかいて四、五回ゆっくりと
深呼吸をした後、軽く目を閉じて呼吸のことも忘れて、
しばし「うたた寝」状態でいるのです。(正式には違うんだよ)

そうすると、昨日のことだとか、夜ご飯のことだとか、
「ツボさんのサルビアの花いいじゃん」とか、
今後のことだとか・・・と言った想念が浮かんでは消えて行く。
「ぼーっとしてるだけなのに、私の脳は休み無く色んな事を
考えているんだね。」と実感することがまず第一歩。

そのうち、そうだ「マントラ」を唱えなきゃ。
でも「myマントラ」は持っていしなぁ、と言う皆さん。

極論ですが、本気で瞑想を体得したいという事で無く、
お試しでちょっとやってみようというのには、
マントラなんてどれでもいいと言うのが私見です。
座って20分くらいぼーっと瞑想のまねごとをするだけで
効果はあると思います。

でも、マントラ欲しいよなぁ。と言う方はこんなの
どうでしょう。自分にとってパワーのありそうな、
ほっとするような言葉を見つけてそれを
「マントラ」にするというのは。

たとえば「私は薔薇」とか「仕事上手」とか
「ふるさとの空」とかね。理解しようとせずイメージです。
それをゆっくり静かに心の中でくりかえすのです。
全細胞がそれを信じて、きっとあなたは薔薇になりなす。


そうなんです。
​
私の、迷走の末にたどり着いた自分に合った「瞑想法」は、
マハリシマへーシのトランデンタル・メディテーションでした。


TM瞑想法の内容を何処まで話してもいいのだろうかと、
あらためてネットで検索して見ました。
ぼくが言った事は、大体公表されたいるので
秘密漏洩にはならないことを確認したのですが、

映画好きの私にとって、もっと仰天記事を発見しました。

「ツインピークス」「エレファントマン」「ブルーベルベット」
などの作品を手がけたあのデビットリンチ監督がビートルズの
ポールマッカートニーと超越瞑想やマハリシマへーシの事を
話している動画を見つけた。何だ、これ?

ポールが超越瞑想を「ベリーナイス フィーリング」とか
「心地良いところにたどり着き、まるで羽根のように
軽くなった」と話している。なんだか嬉しくなってきたぞ。
「おれはやっぱりビートルズで超越瞑想と繋がったんだ。」
と勝手に喜ぶ。
「デビットリンチ財団」がデトロイトの学校の授業に
TMを採用するためのチャリティーコンサートにポールと
リンゴスターが参加するというものだった。
ビートルズも40年前からずっと今まで続けていたんだね。


どれどれと他にはないかと見てみると今度は
あのクリントンイーストウッドのインタビュー動画が出てきた。
やっぱり、40年続けているそうで、戦争体験をした退役軍人の
ストレス障害「PTSD」に「TM」が役立つと話している。
キャメロンディアス、ヒュージャックマンの画像も見つけた。

へぇ~。凄いじゃん。説得力がありますなぁ。

どうです?最初、20分は結構長く感じるけど、
「StayHome」を守っていた皆さん。
試しに一度「瞑想」を楽しんで見るのはいかがですか。
僕は良い趣味だと思っている。


ある日のこと、いつものようにたまたま本屋さんを
ぶらぶらしていたら千原先生の書いたTMの本が目に止まった。

先生にマントラを教えて貰ってから、28年の時が経っていた。
立派になられた先生の写真に、こっそり挨拶をした。


    終わり

​
PS

昨日、東京も緊急事態宣言が解除されましたね。
まだ油断は出来ませんけれど、良かった、良かった。
みなさん、よく頑張りました。

僕らも新しい日常を模索しながら
歩き始めてもいいのかな。

感染予防をして、風通しのいい夏服を着て
美味しいものを食べに繰り出したいな・・・ラーメンだべな。
きっと、おんなじ気持ちの人で街は溢れるから、
あともう少し・・・。

そして、思い切り唄いたいな。



私はいつも「迷走」してるってね。三話

25/5/2020

 
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ある日のこと、いつものようにたまたま本屋さんを
ぶらぶらしていたら「超越瞑想」という本が目に止まった。


瞑想は手に負えないと思っていたぼくだが、
本の表紙に写っているインド人の顔に
見覚えがあったので手に取ってみた。
年齢はいっているようだがその笑顔のやさしい
インド人の名前は「マハリシマヘーシ」
そうだ!ビートルズと一緒に写っていたあの瞑想の先生だ。」
そうか、あの先生の教えは「超越瞑想」って言うのか。

早速買い求める。

マハリシマヘーシが教えるTM(Transcendental Meditation)
という瞑想法を書いた本で、日本語訳では超越瞑想と言う。
結構分厚いズシリとした本だった。持ち帰り読み進める。

どれどれ・・・

生徒の「僕は100%瞑想を信じていませんが、そんな僕でも
効果はありますか?」という質問に「100%効果はあります。 
ニュートンを信じなくてもリンゴが落ちるように。」
まあ、なんて素敵な切り返しでしょう。

「TMは哲学でも、理論でも宗教でもありません。
そして信じる必要もありません。」
いいねいいね・・・。

例えば、湖を想像します。
表面は風に吹かれてさざ波が立っています。
それが日常の人の心の有り様です。雑念の多い状態です。

本来の心はいつも湖の底のように穏やかで静かなのです。
ゆっくりと心を湖の底まで落としてゆき、
その静寂の中に身をおくのです。
そして自然界とより親密になること。

と、まぁ、ざっくりと言うとTMの「瞑想」とはそんなことです。
奇跡や魔法ではありません。

穏やかで静かな心の奥に行くための「アイテム」が
「マントラ」と言う。「マントラ」とは昔からある言葉で
日本語では「真言(シンゴン)」と言って、
パワーを秘めている「呪文」のようなものだ。
​
​仏教の仏様には、それぞれにマントラが必ずある。
たとえば不動明王のマントラは
「オンバサラ サトバアク ノウマクサマンダ バーサラダンカン」
​なんていうんだ。これを無心に唱えるとお不動様パワーが
自分の内に宿ると言う。お坊さんが滝に打たれながら
何やら叫んでいるのはだいたいこのマントラだ。
​
地方のホテルで深夜ざわざわする時、
私も「おんばさら~~」ってやる。幽霊嫌いだし・・はは。。


「ナンマンダァ、ナンマンダァ」なんかも「マントラ」だよね。
「言葉」そのものにパワーがあると空海も言ってる。
もしかすると「あの野郎」「マジ、頭来る」
「あぁ、つまんない」なんて言うのは昏くて重たい
負の「マントラ」になるのかもね。
マイナスエネルギーを呼び寄せる「言霊」だ。
幸福が嫌いな人はやってみるといい。
・・・時々私もやっちゃうけどね、煩悩、煩悩。


で、本を読みながらTMを実践して見たんだけれど、
「割といい感じ」なんだよこれが。だけどね。

その瞑想の際に唱える「マントラ」って言うのは、
指導に当たった先生がその人に合う、その人のためだけの
「マントラ」を一つだけ選んで伝授してくれるというのだ。
つまり、TMセンターに入会しなければ自分専用の
「マントラ」は教えてもらえないというシステムなのだ。

勝手に「おんばさら~」とか「いお~む」とか
「あ~しあわせ~」とか「もともとスター~」とか
唱えていたのだが、やっぱり「My マントラ」が欲しいじゃない。


そこでどうしたか?
そう、遂にわたし入会いたしました。


エレベーターのない渋谷の小さなビルの3階にある日本支部。
ぼくは生まれて初めて、そういったところに参加しました。
7~8人くらいでしょうか。
おじさん、おばさん、大学生、いろんな方がいらしていて、
私は自分で望んできた割には、なんだかちょっと違和感。

黒のスーツを着た、千原ジュニアを優しくしたような男性が
立っていた。この人が先生なのだとすぐに理解した。

ここにきた動機はなんですか?
他のミーティングに行ったことありますか?
私は、何もかもが初めてだということを伝え、
その日から、四日間の超越瞑想の実習が始まりました。


ぼくは質問したがりなので受講中にいろいろ聞きました。
「目を閉じている時、視線はどこを見ていればよいか?」
「調子に乗ってきたら、規定の20分を超えて続けてもいい?」
「雑念が沸いたら無視するの?それともただ眺めているの?」

運転免許証の書き換えの時に受講する教室を少し
小さくしたような部屋で、割と静かな生徒さんが多い中、
思いついたことをつぎつぎに質問する私に、

千原ジュニア先生は「あなたはかなり経験があるんですね。」
と、ちょっと嬉しそうな顔で、僕の質問に丁寧に答えてくれた。

​
「はい、さざ波の上でずっ〜とボートに乗っていました。」
とは言えなかった。



​

なんかやりたいねぇ。

24/5/2020

 
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残念ですがまたまた、コンサートの延期報告をしました。
詳しくはトップページを見てくださいね。
楽しみにしてくれていた皆さんには
ホント申し訳ないです。

こちら事ですが、フラットアースと各地のイベンターさんとの
情報交換はそれこそ毎日続いています。
「やはり難しいかな」「もう少し様子をみませんか」
「そろそろ発表しないとファンの皆さんの都合もあるし」
などと言いつつ・・・。

開催したい思いはアーティスト、イベンター関係者さん
みんな一緒です。

心のどこかが「もうやっちゃいな!」と言います。
でも、みなさんの健康第一を思えばね。
45年育んだ信頼と絆は、僕の宝です。

そこで、マネージャーの発案で
そろそろ、違うかたちでのライブも考えようとなり、
都留さん、久保田さん、佐藤さんとも相談しながら、
いま模索中です。

実は、友人がネット配信をするというので参考に
なるかと思い、試しに自宅のパソコンで見に行ったのです。

​
なんとか事前に教えて貰っていたPageは開けた。
​アーティストの写真がスライドショウのように並んでいる。
いろんなアーティストがここで配信ライブをしているんだ。

目的の友人もそこに名前を連ねていた。
ここでチケットを買うらしいので「ポチッ」と押したら
すんなりチケットが買えた。なんだ思っていたより簡単だなぁ。
さて、会場にはどう行けばいいのだ?
画面のあちらこちらを探して、ところ構わずポチ、ポチ、
したがライブ映像の画面が出てこない。 困ったなぁ。

もう一度、チケットを売っていたPageに戻る。
チケットの他に「なんとかコイン」が売っている。
盛り上がったり、賛同した時に使うためのものらしい、
いわゆる「投げ銭」っていうやつか。
​
これも買うのかな?と奮発していくらか買ってみた。
これで万全だろうと、また入り口を探したが分からない。

トホホになっていたら、「ヘルプ」というボタンを見つけた。
そこを押すとメール送信が出来るようになっていて、
分からないことを書いて送信すると返事をくれると言う。
半信半疑ながらライブを見られないと書いた。

しばらくすると返事が来た。どこかのPageが貼ってあって、
「このPageのここの部分をクリックして下さい」とある。
写真まで添付して、ずいぶんご親切ではありまするが、
「そのPageにわたしは辿り付けないでいるのだ」
それでもヘルプさんの添付してくれたPageをずっと探していたら
「ライブ配信」の開演時間が5分も過ぎていた。

情けないと思いながらも、もう一度ヘルプさんに
「私には無理だす。」というメールを送った。

すかさず、ヘルプさんから「このURL(アドレスみたいなやつ)を
押すと見られます。」との返事。
なんだか無知な人への最終手段のようでとても
恥ずかしかったが、教えられたURLを押すと
見慣れたアーティストが喋っているのが見えた。ホッとした。
そして自宅でライブを楽しんだのだった。

でも、ふと思う。

知っているひとは簡単なんだろうけれど、
慣れていない人にはどうだろう?
私でさえこれなのだから、
もし私がライブ配信をしたとして・・
ファンのみなさんは果たしてURLまで到着できるだろうか?

皆さんの方が慣れていらっしゃるのかな?


そんな訳で、「一番簡単な方法を考えて欲しい」と
都留さんや佐藤さんに相談しているところです。

もし、実現したら「頭の体操」くらいの気持ちで
どしどし参加して下さいね。
案外慣れてしまえば、こっちのものかも。

では、近々楽しいイベント報告が出来ますように・・・。

PS

自粛中で時間がある方に「瞑想」なんかはお手軽ですよ。
費用もかからないので自宅遊び「アイテム」としては
面白いですよ、試しに一つどうですか?と
言った軽い気分で書きはじめたんだけれど
意外と長くなってしまいましたが、それなりに
「瞑想」のはなしが皆さんに好評で嬉しい。

調子に乗って
最終話を書き始めてみたけれど、
どうやら三話が最終章とはならないらしい。

話が話だけに私の頭もこんがらかって迷走中ですわ。
あと二話ありますので、お楽しみにね。
​

私はいつも「迷走」してるってね。二話

23/5/2020

 
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瞑想の方法は、ひとつだけじゃない。

禅宗のなかには瞑想中に棒で背中を叩くのもある。
居眠り防止なのか、「あなたの瞑想は正しい方向に
向かっていませんよ」という注意のためなのか。

達磨大師の瞑想法はね鼻先が壁にぶつかる位の距離で座り、
目を半開きにしたままでずっと一点を凝視するというもの。
試してみたが眉間に蟻がうごめいているくすぐったさで中止。


瞑想中は無言だったり、マントラを唱えたり、
呼吸だけに集中したり、光をイメージしたり、
自分のからだが宇宙に届くまで大きくなったり、
見えなくなるくらい小さくなるとイメージをしたり。
修行している金剛薩埵菩薩と同化した自分をイメージしたり、
頭頂から体内に充ちたエネルギーが大きな力強い炎柱となって
天に駆け上がる様を描いたりと・・・。

お釈迦様はその天に昇る火柱で髪の毛を焼いて
あんなパンチパーマになったんだってさ。
(いやいや、わたしはそう聞いたもの。)

とにかく、色んな行法がそれこそ無数にあったんだと。
というか、現代でもそれは行われているらしい。

高度な瞑想は「取扱注意項目」であり、師がもう大丈夫だと
認めた弟子に対してだけ奥儀を伝える「秘法」だったらしい。
トレーニングジムでスポーツの後「ヨガ」の最後に
やっている「瞑想」とは別物な感じですわね。


では「瞑想」って何のためにするの?
実は、その答えを私は知っている。

ここからは、​ツボ先生の古代史の解釈と同様、
大いなる妄想が介入してきますよ。

「瞑想」とは「自己探求」そして「超人になる」ための
「カリキュラム」なのだ、理論ではなく実践が宗教の
始まりであり、その学習課程の結果、得られるものがこれだ。

「六つの神通力」

神足通  いつでも好きな場所に移動できる。 
天耳通  すべての声を聞き分け、理解する。
他心通  相手の心を読む。
宿命通  だれの前世も知る事が出来る。
天眼通  現在、過去、未来を一瞬で見渡せる。
漏尽通  すべてを知ってしまうこと。
     もう生まれ変わらないという事を知る。

「沙門果経」と言う仏典に釈迦の語った言葉として
書かれてあるそうだが、わたしは読んだこともない。

どう、凄くない?今で言う「超能力」だよね。マジで。
テレポーテーション、、サイキック、タイムトラベル。
「月刊ムー」の世界だ。お釈迦様が言ってんだから!

遙か昔から一部の古代人は、肉体を鍛えるのと同じくらいに
心の能力を開発する訓練をも同時に行っていた。
現代人より「魂」というものの本質を理解しようとしていた。

ひとは肉体と心の両輪で走る車。
昔の人は現代人よりも「祈り」「瞑想」をより身近な
こととして「神」との距離を上手なバランスで
生活していたのかなと、都合良く憧れてしまいます。
「瞑想」はそんな世界の入り口に続くアイテムなんかなぁ。


科学の理論に寄り添いすぎた時代はいつか滅びに向かう。
心に寄り添いすぎた時代もやがて淘汰される(・・気がする)
コロナによる「自粛規制」と「経済再生」どちらも大切だ。
それに似てる・・・こじつけ。

まあ、面倒くさい話になっちゃったね。
だがこんな話を見聞するのがそこそこ好きなわたしは、
そんな「「耳だけ理解」を深めるにつれ、
魅力はあるもののちゃんとした?「瞑想」は
私には無理だとの結論に至ったのだった。

まず、師と仰ぐ人を持ちたくない。
その人の経験と人生のフィルターを通した「真理」は
いくら正しいといわれても「私の真理」ではない。
出来るなら「神と私だけのホットライン」が欲しい。
という夢みたいな妄想をするのだ・・・わたしは。

 熱心に瞑想のまねごとをしなくなった今でも
「聖なる予言」とか「ザ・シークレット」や「アルケミスト」
なんて本を手にしてはフムフムと楽しんでいる。

そうそう、そんな私にも「これなら俺も行けそうだなぁ」と
思った「瞑想法」があったのさ。

その事を「2話」で話そうとおもったら、
またイントロトークが長くなちゃった。
(コンサートと一緒やねぇ)

このまま、話を終わらす訳にもいかないので「3話」に
続く事になるが、この話、面白くないと思った人・・・

あと一回の我慢だ。

PS

前回の「十分に検討したい」との空海の言葉、どう?

「十分に遣唐使隊」なんだけど・・・・。
やっぱ、スルーかい。
​
「MAYSON G」座布団三枚!


私はいつも「迷走」してるってね。

22/5/2020

 
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皆さんは「瞑想」をしたことがありますか?
私はいつも「迷走」してるってね。「ちゃうわ!」

​
僕が高校か大学生の頃だったかな。
​
ビートルズがインド旅行をした際に高名な僧侶と知り合い
そのひとの説法に深く感銘を受けたメンバーはその方を
アメリカに連れて来たことがありました。
​
中でもジョンとジョージはそのグル(師)に深く傾倒して
いったということでした。
アメリカに渡ったグルは、本来門外不出であったはずの
古代インドの教えを、アメリカの若者達に広く伝え始めた。

自分自身を深く見つめるためのその教えは「Love&peace」を
標榜する当時の若者達に大きな支持を得て行きました。
そう言った中にメディテーション(瞑想)という言葉も
出てきて、僕は瞑想というものは、
お寺のお坊さんだけがやるもんだと決めつけていましたが、
その時から少し身近なものに感じてゆきました。

普段忘れがちだけれど、お釈迦様も元々はインド人だよね。
彼が菩提樹の木の下で一瞬にして「悟り」を開いたのは
まさに古代インドのバラモン教の修行法の一つである
「瞑想」をしている時だったんだ。
私達のなまくら頭には、かなり良さそうだけど
やっぱりなんか遠いよね「瞑想」って。

​
それから数年が経ち、東京に出てきてしばらくたったある日。
何気なく本屋さんで「瞑想」の本を手にした。
それは仏教系の、しかも案外ファンの空海の真言密教の
瞑想法の一つで「阿字観」と言うものだった。
(北大路欣也主演の映画「空海」・・・見たもねぇ。)

空海が遣唐使として中国に渡った際に、運命的な出会いをした
密教僧の恵果阿闍梨から伝授された密教修法のひとつだろう。
空海も「十分に検討したい」と言ったらしい。(うまい!)

どれどれと買い求め、早速読み進める。

満月の中に蓮を置き、その上にサンスクリット語の「阿」を
乗せて、それをまるごと頭の中でリアルにイメージするのだ。
簡単に言うとそう書いてある。
​
では「阿」ってなんですのん?「ウン、いい質問ですね。」
「阿」とは森羅万象すべてのものが増えもせず、
欠けもせず、すでにそこにある。ということなのだ。

「ね、簡単でしょ。」たぶんそれは「宇宙」のことで、
「自分と宇宙」が重なる、一体化する為の修行なんろうね。

「ね、訳わかんないでしょ。」

私も私なりに試してみた。
「阿」と言う文字を壁に貼って足がしびれるまで眺めてみたり、
歯を食いしばって頭の中に「阿」と「蓮」と「満月」を描いてみるのだが、「阿」が出てきたら、「蓮」がおぼろになるので、
慌てて「月」をイメージしてると「阿と蓮」が行方不明になる。
何度も何度も繰り返しそれを続けた。そして悟った。

「瞑想ってイライラする。」

結局、「阿字観」で私が得た習慣は、
満月の夜にベランダに出て、マイクオールドフィールドの
三部作やジョンレノンの「Mind games」を聴きながら
夜風を感じつつ、実際の満月を眺める
​「月光浴」という習慣であった。ありがとう。

その後も安直な私は、より簡単でお手軽を求めて
「瞑想」を「迷走」するのだった。

この話、面白いと思ったあなた、第2話を待て。

PS

言わずもがなではありますがプロの宗教者、そして
帰依している真摯な方々のそれと、私のわくわく目線の
「瞑想」に対する向き合いかたとでは全然次元が違いますから、
誤解のありませんように。


そして、今夜もワインがすすむのだ。

21/5/2020

 
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コンサート会場に行けなくなった皆さんのために
何か僕が出来ることはないだろうかと考えて出来たのが
「MoonMovie」だ。

そのおかげで、私自身が昨日までを振り返るという
有意義で楽しい時間を与えていただいた。
これはホントに感謝だ。

これからも「義務」のように「仕事」のように捉えず
のんびり楽しみながら作ってゆきますね。
ちなみに、既成のDVDと限られた未発表の動画の中から
掘り起こして行くのですから
「今度は、この曲をお願いします。」「あの曲が見たいんです」
などのリクエストは残念ながら無理なのでございます。

「MoonMovie」は「限りある資源」です。

ひとつ、ひとつを研磨するように何度も何度も味わっていただき
あなたの生活の中の和みアイテムのひとつになれば倖せです。

さて、
MoonMovieをするようになってから
いままであまり熱心に見てはいなかったYouTuberを
以前よりよく見るようになりました。
そんな時に「ふきのとう」や「ソロ」の楽曲に出会う事がある。
意外にたくさんあることに驚きと嬉しさを感じながら、
まるで友達のような親近感でついつい見てしまう。

オリジナルの曲の音源に素敵なイメージ映像を重ねたものや
「知らない誰か」が僕の歌を唄っている「動画」がまた楽しい。

みんなの演奏を見ながら、
「なるほど、こういう感じは俺にもアリかもな。」
(お前がパクるな!)
「素晴らしい声じゃない、プロになればいいじゃん。」
(天野か!)
「主旋律は崩す前に、先ずは憶えて下さいよ。」
「誰も知らないような、こんなマニアな曲を唄ってるの?」
「この人と組んだらコーラスメインの
アコースティックバンドやれそうだ。」などど楽しんでいる。
皆さん、これからもイメージ作品や、違う曲も唄ってね。

私も深夜のワインがすすみます。


あらためて思ったよ。
歌は、一度世間に送り出せば「楽しんで唄っている人のもの」
であり「楽しんで聴いている人のもの」になる。
作り手の「魂」と「それぞれが歩いた日々」とが融合して
変化を起こして、何処にもないえも言われぬ唯一の歌になる。
​それが心の歌になる。歌っていいよなぁ。

皆さん、僕の拙い歌を取り上げてくれてホントありがとう。

皆さんの唄を聴いて・・いい歌だなぁ。
思いが通じてるんだぁ。と感激しました。
​(自分の歌とかは関係なしでね)

特に「旧友」のギターの君、「上手い!」座布団3枚!


見ると、「ツボカズ」の動画が1日で900回に迫る勢いだった。
どの数字が平均なのかは知らないが、素晴らしい!有り難い!

「ツボカズ」のリハーサル風景を見ていて思うに
「プロ」という肩書きではあるけれど、いくつになっても
「フォーク少年、フォーク少女的な残像が残る
「アマチュア的なプロ」がいてもいいのかも知れない。
狙った訳ではないが「細坪君と三浦君」や「スリーハンサムズ」には見た目は立派な「じじい」ではあるが、そんな面影が
残っているような気がする。「ツボカズ」や「スリハン」の
リハーサル風景を見ていてそう思う。

お互いにソロのコンサートでは今の自分を聴いて欲しいと
思っているのだが、グループやフォークフェスでは、
フォークソングに夢中だったあの頃の自分を
自らが楽しんでいるのかもしれない。

悪い意味ではなく、YouTuberで「オヤジアマチュアバンド」
の演奏を聞いていると、音楽に出会った
あの頃の自分を思い出すのだ。
おそらく瑞々しかったであろう、
青春一歩手前の自分を思い出すのだ。

今更に、フォークソング万歳!
そして、今夜もワインがすすむのだ。


PS

BBSに「春の雨」のことが書いてあったので、僕も
YouTuberに「ふきのとう 春の雨」で検索したら・・・
​
出てきたよ!アカペラだよ!大きめスーツだよ!
いやいや、初めて見たよ!何を思っていたのだろ?​あの頃。

さすがに今はもう出ないボーカルだけに、愛おしいわ。 
​教えてくれてありがとう! 


それとも全身がいいですか?

20/5/2020

 
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全身麻酔って経験したことある?


前回、人間ドックの話をしたけれど、
僕の行く病院は胃カメラを撮る時には、全身麻酔なのだ。
それまではほとんど全身麻酔の経験がなかったものだから、
「部分麻酔にしますか?それとも全身がいいですか?」と
先生にその選択を委ねられた時、間髪を入れず「全身で。」
と即答したのだった。


その日、僕は心電図をとり、エコーで肝臓や膵臓を調べ、
採血をし、その他、諸諸の工程をこなし最後はベットの上にいた。


「これから麻酔を入れますから、ゆっくり
「5・・4・・3.・・」と数を数えてください。」
吊した点滴のような袋から伸びている管に、
注射器で麻酔液を入れ始めた。
それを見て僕も「5・・4・・3.・・」と数え・・・。

そして、目が覚めたのは病院の個室のベットの上だった。

薄緑色のカーテンを開けて、近くを歩いていた看護師さんに
「すいません、寝ちゃったようで・・・」と言うと
先生のところまで親切に道案内してくれた。

「全身麻酔の経験は?」「いや、ほとんど初めてです。」
「普通の量だったんだけど、かなり効いたようだねぇ」
「でも気分は悪くないです。少しぼーっとするくらいで。」
「効きやすい体質のようだから、次回はもっと少ない量に
しましょうね。」と言いつつ「二郎さんには体型を考えて
あなたよりも多い麻酔の量だったんだけど、
何もなかったように、普通に歩いて帰って行っちゃったねえ。」

「ライオン丸様」と私を同列にしてはなりません。
ゴリラとサルくらいの違いはありますから。

そう、この病院は杉田二郎さんに紹介されたのだった。

それからというもの、毎年全身麻酔が楽しみになった。
それは「正常な意識が麻酔の効果で気を失う」
その端境の状態を感じたいのだ。分かる?
麻酔が効いてきて自分が自分を失う瞬間を目撃してみたいのだ。
「トワイライトゾーン「はざま」が好き。

「今日は、数を数えないでずっと喋ってますから、よろしく。」
「今日は、少し肘を立てて、半分起き上がっていてもいい?」と、看護師さんにいろいろ駄々をこねるのだが、

今も毎回「5・・4・・3・・あへ!」である。



ps

BBSに感想を書かれたみなさん、
ツボッチ・エッセイを楽しんで貰っているようで嬉しいです。

たいした時間ではないですが、一日の箸休め程度に
のんびりした気分で読んでいただきたいです。
こうして繋がる機会もいままではなかったからね。
楽しんで続けますよ。


コロナが収束するまではと始めたエッセイ。
こんなに長引くとは・・・・。

自分の首をしめてしまった細坪でした。

​

ご同輩。

18/5/2020

 
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「立ち上がり 用事忘れて また座る」
「メモ書きの 書いた所の メモがいる」


蔵王の神社の灯籠に書かれていたような
中高年の自虐的ユーモア川柳って結構あるのね。
私は、嫌いではない、結構好きだ。だがあまり見過ぎると、
飲み会の時のオヤジ達の度が過ぎた「ダジャレ合戦」が
一段落した後の「ふぅ」と言う虚無感に似たものがやって来る。


「まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ」
「目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ」


この頃、朝型でも夜型でもなく眠たくなるまで起きている。
しかも睡眠時間が短くなっているので、明け方6時くらいに寝て
爽やかに朝9時に目覚めると、さすがに何かが心配になる、何が?


たしか、俺も宝くじ買っていたなぁ。と思い出した様に
あちらこちら引き出しを探してみるが出てこない。
宝くじ しまった場所のメモがいる(tsubo)
期限切れ 7億円の予約券(tsubo)


「「こないだ」と10年前の 話しする」
「ご無沙汰を 故人がつなぐ 葬儀場」


私の友人にも昔いたなぁ。
久しぶりに会うと必ず「同じ話」をする人。
しかも話の内容はご自分の「武勇伝」でその上、
毎回ごとに脚色が激しくなっていて、彼の頭の中では、
自身で語る「妄想」が「実話」を越えて「現実」に
なっしまっているのだと思う。それを聞いていて、
あらためて訂正して差し上げる者もいなくなった。
彼の「妄想」の出演者のひとりである私とて・・・。

細坪君の「熟成された妄想」も、他の方達を傷つけ、迷惑を
かけているやもしらん。「人の振り見て我が振りなおせ」ですわ。


「恋かなと 思っていたら 不整脈」
「クラス会 食後は薬の 説明会」


確かに、食後に処方された薬を飲んでる友人は
たくさんいますなぁ。幸いなことに私はサプリ以外の
常備薬持たない。強いて言えば「賢者の食卓」と
特別な?朝に飲む「ソルマック」だ。


定期的に日帰り「人間ドック」にはゆく。
いつも結果はだいたい良好だ。
一度、「そろそろ出しますよ。」と言われてビニール袋一杯の
「血圧」やら「尿酸値」やらの薬をお土産に持たされた。
ところが、私には自覚症状が一切ないのだ。


でも「しょうがないか、先生がそう言うのだから」と
一旦は覚悟したのだが「そこが何かの境界線」のような
気がして、やはり薬を飲む気持ちにはなれないのだ。
飲み始めたら、もう一生飲み続ける事になると
​聞いた様な気もするし・・・。
​持ち帰ったビニール袋を返却するわけにもいかず、
申し訳ないけれどダストボックスにシュートしたことがあった。

その後、先生から「数値は正常ですよ」という
有り難い「お言葉」をいただいたので安心している。


「定期的」に飲む薬品は異常になった患部を治癒する代わりに、
おそらく正常な他の場所をも静かにボディブロウ攻撃している
ような気がするんだよね。お医者さんと相談しながら
薬品治療を続けている方はたくさんいるし、
薬が悪と言うことでもなく、僕が重大な疾患を持ってないから
楽観的に言える事なんだろうけどね。

僕が今でも「365日水シャワーを浴びている」と言うと、
「絶対身体に悪いよ!」と言われることがあるけれど、
ぼくは「素晴らしい健康法」と思っている訳なんだ。
そうなるともうある意味、自分の経験と共に芽生え、身体が
答えを出した「信仰」だよね。

「イビキより 静かな方が 気にかかる」


人様に迷惑をかけない暮らしって、案外不便で面倒くさいよね。

だが、指示されたわけではなく、付和雷同しているのでもなく、
良かれと自分で決めてやっていることだ。
ご同輩!健康第一でこの季節を乗り切ろうではないか!


雨の音

16/5/2020

 
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皆さんはどんな感じですか?
僕の所は一日、雨みたいです。
そして、少し肌寒い。

こんな雨の日は、みんなが着ていた雨合羽を思い出します。

あの野音の日から、もうすぐ一年になるのか。
スタッフ共々、何日も前から天気予報に一喜一憂していたけれど、
その日は雨。結局、そういうことなんだ。
何日も前から心配していたって、晴れは晴れ、雨は雨。
6月9日が雨なのには、それなりの訳があったのだろう。

「テルテル坊主」を作ってくれたファンの皆さんもいたよね。
そして終わってみれば、あの雨も野音のコンサートを
特別なものにしてくれた。

息の合ったメンバー様達の笑顔も最高だったし、
ゲストの掘江淳さんの「華やかさ」が良かった。
五十嵐浩晃さんのバラードは「金も銀も銅も」だったし
永井龍雲さんが唄ってくれた「ハラカラ」は渋かった。
フォーク村の同級生「NSP」のふたりは、
前回の野音に続いての応援でほんと心強かった。

そして、合羽姿の皆さんの笑顔に最後まで支えていただいた。
微妙な雨量でしたもね。最後の曲まで唄えて良かった。

思い出したことがある。

昔、NSPが「田園コロシアム」で野外コンサートをしたんだ。
僕も見に行っていた。
テントが楽屋代わりだった。
そのテントに雨がバラバラと大きな音を立てていた。
「まいったよ、ツボ」と天野の声が少し怒った様に言った。
楽屋全体がどこか落ち着かない雰囲気。
数人参加していたバイオリン、チェロ、チームだが、
ここに来て「この雨の中では演奏出来ない」という風な意見が
出たのだそうで、急遽大幅に曲目を変更する事になったらしい。
「この曲やれる?平賀」「これはどう?中ちゃん」
というやりとりが本番直前まで続いたそうだ。

会場の後ろの方で傘を差しながら見ていた僕でさえ
「これは困ったねぇ、凄い雨だねぇ。」と思いながら見ていた。
濡れながらも一生懸命に声援を送っていたNSPファンの
熱い気持ちがとりどりのの傘の色と共にとても印象に残っている。

最悪の雨であるがいい風景だった。

ライブアルバムを制作する予定で用意した収録機材が
濡れないように急遽ビニールで保護しながら収録した音源さえ、
テントにぶつかる激しい雨の音にかき消されて演奏が良く
聞こえない。惜しみながらも発売は見送りにされたと聞いた。

後年それを平賀くんは執念で雨の音を最大限に消し去り
ポニーキャニオンのディレクターとして最高の状態にして
世に送り出したのだった。素晴らしい。

皆さんを含め我ら「ツボッチチーム」が45周年の
野音をやり終えたのは、この時期に不謹慎かもしれないが、
昨年「ROUND45」ツアーが滞りなく終了した事も含めて
とても幸福なことなんだ。

そしてその、DVDの発売も近づいて来ましたね。

野音の数ヶ月前から、雨を司るという「龍神様」に
「いくら仲が良くても、6月9日だけは来ないでね」と
言っておいたんだけどやっぱり来たもね。

この際、「雨男 細坪」ということで
これからも、よろしくお願いします。


「激しい雨」「雨は優しいオルゴール」「愁い」「赤い傘」・・・
挙げたら切りがないくらい私には雨の歌がある。
なんだ、実はわたし雨が好きなのだ。
​
今日は一日・・・雨の音
​
そろそろ、皆さんに生で聴いていただきたいものです。



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去年の今頃

13/5/2020

 
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記入する事項とてない、ぺらっとした5月のカレンダー。
​
去年の今頃は何をしていたんだろう?と思う。
歌の旅を続けていたことは間違いないが、さて。
と思い手帳を見ると昨年5月は渋谷でのスリハンコンサートを
終えて山形に向かい、かの上野ちゃんがコーディネートして
くれている「TSUBOくだり2019」で山形、酒田、高畠を
​まわり、九州は長崎、福岡で唄っていた。

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そこで、「山形」なんだけれど「ラーメンの麺の消費量」が
日本一だと言う事を知ってた?「ラーメン店」が多いと言うの
ではなくラーメンを日本で一番食べる県民ということなのだ。
冷たいスープの「冷やしラーメン(冷やし中華ではない)」と言う
種類もある。私が一番なるほどと思ったエピソードがこれ。

ある時、かの?上野ちゃんが「山形は蕎麦が美味いんだ、
上手い店を知っているので案内するよ。」と言って、
彼の車で郊外の小綺麗で大きな蕎麦屋に向かった。

店内は結構混んでいて人気店なのだと見て取れる。
小上がりに座り、おしぼりで手を拭きながらあらためて店内を
見るともなしに眺めていると「おやっ!」と思うことがあった。

隣に座っていた久保田君に、「久保田ちよっとお客さんを
見てごらん、全員が蕎麦じゃなくてラーメンを食べてるよ。」
「ほんとだ !ラーメンがいいんですかねぇ、旨そうですよね」
と言った。眺めていたお品書きをテーブルに置いた上野ちゃんは
「さて、何にする?この店は普通に「ざる」がいいけど、
冷たい「とろろ蕎麦」も捨てがたいよ。」とすすめてくれた。

「上野ちゃん、俺、ラーメンでもいい?急に食べたくなってさ」
​ちょっとだけ、おやっとした表情を見せたけれどすぐに
「いいね、いいね、ここはラーメンも行けるよ。」と言う。
「じゃぁ、僕もラーメンで。」と久保田。
「私もラーメンお願いします。」とマネージャーの竹内さん。」


初めてなのになぜか「懐かしさ」を感じるラーメンでした。
周期でやって来る「ラーメンブーム」とは無縁の普遍の
「中華蕎麦」をいただいて「山形ラーメン消費量日本一」の
神髄を見たような気がしました。

あの時は、僕らに蕎麦を振る舞う気満々の上野ちゃんには
大変申し訳ないことでございました。

昨年の山形でも「中華蕎麦」を美味しくいただきました。

足を伸ばして蔵王へもドライブしたのです。
そして、蔵王の神社 で見たモノは!!

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祭神は大国主命、少彦名命の国作りの相棒両人。
その国の親分須佐之男命、
それから、軻遇突智神(カグツチ)。
この軻遇突智はユニークな神で「炎が燃え盛る様に」生まれ出で
生んでくれた母に大やけどを負わせ死なせる。
それに激怒した父は軻遇突智を殺す。
というエピソードを持つ「火の神」だ。

もしかしたら、古代の蔵王は火山だったのかもね。

面白いのはこの「酢川温泉神社」の石灯籠だ。

​
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曲がりながら続く長い参道の両脇の石灯籠に何やら文字が・・
はじめは、心ない者の悪戯書かと思ったが・・・。
​
長い階段を歩き疲れた時は、こんな川柳で心を和ませて
みてはどうですか? という神社の皆さんの心遣いなんかな。
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一心不乱に歯を食いしばり、参道の階段を登るも良し。
時折笑顔を浮かべ、ふっと肩の力を抜いてみるも良し。

それは、人それぞれ。
辛いか楽しいか、幸か不幸かを決めるのは、
​出来事ではなく、それに向き合うそれぞれの心なのかもね。

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去年の今頃は、爽やかな東北の風に吹かれていたんだなぁ。
​
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山形のお蕎麦はホント美味しいよ!!

​

「Hay、Siri!」&「Ok, Google!」

11/5/2020

 
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この間、携帯電話の人工知能の話をしたよね。

僕はiPhoneなので呼び出す時には音声認識機能で
「ヘイSiri!」と言う。すると「およびですか?」と
人口知能は返事をくれる。世界中のiPhone利用者の数だけ
「Siri」は存在しているのではなく、たったひとりの
「Siri」が僕たち全員をシェアしたいるのだ。

そう考えると少し・・いや、結構怖い!


いつかの楽屋でこんな遊びをしたことがあるんだ。
確か、山形の上野ちゃんとだったと思う。
「俺の携帯のAIはまず「オッケーGoogle」と言うんだよ。
ツボのは「ヘイSiri!」だよね確か。」「そうだよ。」
「俺の携帯にさ「ヘイSiri!」って言ったら答えてくれるかな?」
と上野ちゃん。「そりゃ、無理でしょう。でも「オッケーGoogle」と最初に言っておいて、間髪入れずに「ヘイSiri!」っていえば、
何かリアクションするかもな。」

「やって見る?」「なんか、悪い悪戯じゃない?」
「でもさ、どうなるんだろうね?」「答えてくれるかな?」
「それとも。無視するのかな?」「そりゃ、そうでしょう」
で悪ガキふたりは・・・やって見た。

上野ちゃんは自分のスマホに「オッケーGoogle!と言って
起動させた後、すかさず「ヘイSiri!」と叫んだ。

もしホラー映画ならばここは、重低音の不気味な音楽と共に
禍々しい携帯の中に潜む何者かを引き寄せてしまい、
恐ろしい悪夢の中へといざなわれるいうシーンなのだが。

上野ちゃんの携帯は話し始めた。
「私はオッケーGoogle!のサポーターですよと冗談をいいたく
なりますね。」と、ちょっとお茶目な感じで答えてくれた。
オッケーGoogle!のサポーターの私に「ヘイSiri!」なんて
悪い冗談ですよと言っているようだった。
言い返しをしてくれるじゃん。

じゃあさ、今度はiPhoneに「ヘイSiri、オッケーGoogle 」と
言ってみようよ。と僕らは悪乗りを続けた。

僕は「ヘイSiri、オッケーGoogle !」とiPhoneに伝えた。

ゆっくりSiriはこう話し始めた。
「面白い冗談ですね。座布団を出すほどではありませんが。」と
Siriはグーグルのサポーターさんに比べて、無表情というか
ちょっとクールな感じで一応冗談を入れて応えてくれた。
Siriの方がちょっとキツイ女子って感じだ。

僕はSiriとは仲がいいと思っているので、
ちょっと怒らせてしまったのかなと反省した。

くれぐれも真面目なお友達は真似しないようにね。


ぼくが、音楽用ソフトで音作りがしたくて、パソコンを買ったのは
30年くらい前だ。阿部さんと言うパソコンにかけては当時から
天才的な能力を持っている人のアドバイスを受けてのことだ。
私の「ホームページの初代管理人」だ。


手取り足取り教えてくれた。
「ごめんね、頭が悪くて。」と何度教えて貰っても
沈殿してゆかないパソコン用語、使用法と手順。
今でも、佐藤さんに「Macを壊しているのはお前だ!」と
言われてるあたり、私はホントに進化していないんだなぁ。

そんな阿部さんが一度こんな話をしてくれた。

ボランティアで高齢者の方々にパソコンの電話相談を
しているんだけどね、まぁ、ツボさんどころじゃないよ!
(やっぱり俺はそっち側かい!)


高齢者さん「あのう、私の所のパソコンが昨日から
ちっとも動かないんですよねぇ。」
阿部さん「どうしたんですか?」 
「何をやったか私もよくわかんないんですよねぇ。」
「そうですか、じゃあ、はじめから手順を追ってやって行きましょう。」「はい、よろしくお願いします。」
「分かりました。それでは一度落として下さい。」
そう言ってしばらく待っていたらね、ツボさん、
受話器の向こう側から「ガッシャン!」って音がしたのさ。

*言っておきますが、阿部さんは私のように?
話をギャグで盛るタイプではない。

床に落としたパソコンを机に戻して貰って、壊れていないか
確かめたいと思った阿部さんは
「ではもう一度、立ち上げて下さい。」と告げる「はい」・・
しばらく待っていたが受話器のむこうからウンともスンとも
言って来ないので、「立ち上がりましたか?」って聞いたらね、
こんな返事が返ってきた。

「はい、さっきからずっと立ってます。」


加速度をつけて急速に進化する事が、
いまや驚くことではない時代となってしまったことを
​頭では理解しているつもりでも、
僕が「生まれて育って身についた経験」が、
いまだにその事にリアルさを持てないままでいる。

​
ps

写真は山形県内で「最上川つぼ下り」シリーズを
続けてくれているステージアンサンブル東北の上野雅郷さん。
舞台音響、照明、美術を生業とする会社の社長さんだ。
「オッケーGoogle」の携帯を持っている。
​

先日、山形のテレビニュースに「経営者の苦悩」をテーマにした
ドキュメントに上野さんがスポットを当てられて、出演していた。
​ご多分に漏れず仕事が激減している中、
「社員の為にも会社は潰さない」と言い切る上野ちゃん。
​
超カッコ良かった。


Pandemic Dream

10/5/2020

 
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奇妙な夢を見る人が増えてるとか・・・。
この長い自粛生活で不安や運動不足で、
睡眠の質が落ち頻繁に目が覚めて、
思い出せる夢も増えている。
これをパンデミックドリームと言うんだってさ。
       (YAHOO!newsより)


奇妙ではないが、久々に今朝
目覚めた時にはっきりと憶えていた夢がある。


卒業して一度しか合っていない小学校の同級生の女の子が
その時の姿のままで登場し、「この映画、面白いよ、
見せてあげる」と言って三島由紀夫と東大全共闘との討論会の
映像を送ってくれた。
オープニングだけだったけれど、かなり面白かったと
返事をしたら、「MoonMovie」でアップしたら?と言う。
それもいいなぁと思い編集し始めたのだが、はたと気が付き
「法律違反になるからだめだよ」と連絡すると、
「権利を持っているのはポールスミスという人で、その人と
もう話は通しているから。」という。

ポールスミス?

「それ、服屋さんじゃないんかい!!」と
自分で突っ込みを入れたところで目が覚めた。



人は何故「夢」をみるのか?
未だに明確な答えは出ていないらしいね。
よく言われているのは、脳が受け入れた数多くの情報を
整理整頓するのは睡眠中で、夢はその作業中に起こる副産物。


とは言え、夢って不思議だよね。
まったく面識のない人物が登場したりね。
だれが知ってるのこの人?って言う人が、
そこそこいい脇役だったり、最近の知り合いの人
が私の実家での出来事に参加してたり、
夢を見ている本人(私)さえ、
想像もし得ない「結末」を夢が用意していてくれたり。
オチがまだ分からないウチに目覚めた時は、
その続きが知りたくて敢えて二度寝したりもするよね。

ここだけの話、
他人の夢の話を「うんうん」と聞いている時ほど
退屈なこともないよね。
映画のストーリーでも「夢オチ」はよほどの
プロットがない限りタブーだものね。


ただ、ぼくが教えてもらった「夢の話」で
今でも面白いなぁ、と思うのがひとつある。
​
聞く?それはこんな夢の話だ。



大きな河川の土手の上で体育座りしながら、広がる青空を
ボーっと眺めていたら、空の向こうから「UFO」が飛んできた。
「何だかしょぼいUFOだなぁ、糸で吊っているような
不安定な動きだぞ」と思いながら眺めているとそれは近くまで
接近して、フッと消えた。「なんだ、いなくなっちゃった。
あれは本当にUFOだったのかな。」と思ったその時、
彼の背中を軽く「トントン」と叩くものがいる。

えっ、と振り向いてみると、そこに光沢のある銀色の宇宙服を
着た小さな宇宙人が立っていた。
さっきのUFOに乗っていた宇宙人だなと確信した。
しょぼいUFOと同じくらいしょぼい宇宙人が
こちらをじっとみていた。

宇宙人はおもむろにこう言った。「失敗しちゃったね。」
「はぁ?俺が失敗?何?」聞き返すと宇宙人は
「失敗しちゃったね。」と、もう一度言った。
「失敗しちゃったって、何が?」宇宙人は無機質な声で
こう言った。「あなたの人生」

トンボのような二つの目でこちらをみながら、宇宙服の胸の下
あたりに付いている「赤いボタン」を指さし「押す?」「押す?」と聞いてきた。「その赤いボタンは?」
「リセットボタン、あなたの人生のリセットボタン」
というと、「押す?」と再び聞いてきた。

彼は、しばらく押すか、押さないを思案した・・・
そして目が覚めた。

彼は同じ夢を3日連続で見たと言った。


ハーベスト 農園

8/5/2020

 
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「ハーベスト農園」で収穫した「島ニンニク」だ。
​
沖縄のまっちゃんが、掘り起こして東京に送ってくれた。
2日前に我が家に到着した。

「ハーベスト農園」というのは、まっちゃんの畑の一部を
使わせてもらって、「島ニンニク」を栽培したスペースを、
私達が勝手に「ハーベスト農園」と命名した訳で
要は、まっちゃんの畑で採れたニンニクの「お裾分け」です。


でも、確かに私と久保田君と竹内さんで、
まっちゃんのご指導の下で農作業に励んだことは間違いない。
​
腰に来たけれど、とても楽しかった。

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​国産ニンニクは青森が有名だよね。
僕もそう思っていた。

ところが、何年か前の沖縄ツアーの時に空き時間が出来て
郊外にある地元の人達が利用する大きな市場に案内して貰い、
いいろいろな面白い野菜をお土産に買ったんだけれど、
そこで買った「島ニンニク」に「ドハマリ」してしまった。
私は「スパゲッティ」作りの天才であるので、ニンニクは
切らした事がない。


家に持ち帰った小ぶりの島ニンニクにすっと包丁を入れると、
包丁に水滴が出来るほど、瑞々しいのだ。
その味も香りも上品で、ニンニク特有の「いい匂いなのだが
それ以上いっちゃうと存在をアピールし過ぎででないなかい」
感がない。実に爽やかで健やかなニンニクなのだ。

それ以後「ねぇ、ニンニク買いに行こう!」と沖縄に来るたびに
まっちゃんにおねだりするのだが収穫の時期で無ければ、
僕らがあの市場で出会った「島ニンニク」はないのだそうだ。

毎回残念がる私に「じゃ、植える?自分で。畑あるよ。」

で、遂に昨年末にまっちゃんのご指導のもと、爽やかで健やかな
ニンニクを植えたのでした。
​その島ニンニクが立派なオトナになって我が家に到着したのだ。

島ニンニクの最初の料理は、ニンニクの香りをいただく為に
シンプルに「ペペロンチーノ」にした。

やはり、自分で植えた作物とは食べながら「会話」が生まれる。


まっちゃん! いつもありがとうです。

​
興行関係者には辛い時期ですが、この騒ぎが収束したら
​またエネルギッシュに「跳び」まわりましょう。



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携帯電話と人口知能

7/5/2020

 
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携帯でAIの「音声認識機能」を使っている人います?
僕はiPhoneの「Siri」に話しかけて「電話」したり、
「近くのお店」を探したりしてます。
最初に「ヘイ!Siri」と言ってから用事を伝えます。
「久保田の携帯に電話する」「佐藤の携帯に電話する」
というと「久保田さんですね」という声の後に
「トゥルル~」と呼び出し音が鳴って
「もしもし」と相手が出ると言うわけだ。


ところが、ひとりだけ何度Siriに「ヘイ!Siri」と話かけても
電話を繋げてくれない人がいる。それは都留さんだ。
「ヘイ!Siri、都留の携帯に電話する」と言うと
「都留教博さんの携帯番号が見当たりません、
どなたにかけますか?」という、そんなはずはないので何度か
「ヘイ!Siri、都留教博の携帯に電話する」というのだが
Siriは「見当たらない」の一点張りなのだ。
そんな訳はないと一応「連絡先フォルダー」を見るとやはり
ちゃんと都留さんの携帯番号は登録されているのだ。
再編集して入力し直したけれど同じだった。
Siriは都留さんを認識したがらないのだ。
確かに以前は案内してくれていたはずだ。


なぜ?
都留スタジオでこんな事があったんだけど関係あるのかなぁ?


その日は「セイレーン」のTDだった。(録音したすべての音源を整理整頓する最終調整の段階)。「セイレーン」を何度も続けて聴いていた。スタジオにはずっと「セイレーン」が流れている。

そんな時、唐突に都留さんが「あれ?携帯がなんか言ってる。」
「え?」僕もコンソールの上に置いていた都留さんの携帯を
覗いた。画面にはどこかのお店の「地図と案内」が
表示されていた。何だろうね。検索してないよね。」
「ずっと作業していたし、このアイスという店なんか知らないよ
ねぇ。」変だねぇ、と言いながら都留さんは携帯をオフにして
再び作業に入る。しばらくするとまたSiriが「アイス」というお店の案内をしてくる。その度に都留さんは怪訝ではあるが
面倒なのですぐに携帯をOFFにする。


Siriが4回目?のアイスの案内をした時、私は気が付いたのだ。

「分かった、都留。」「セイレーンの唄の同じ場所で、
Siriは反応してる」「どう言うこと?」
「セイレーン」の唄の中に「愛し愛され生きる、
それでいいじゃない」というフレーズがあるよね。
その場所でSiriは反応してるんだ。
「愛し愛され、生きる」がキーワードだったんだ。

「アイシ、アイサレ、イキル」と唄う僕の声をSiriは
「ヘイシリ、アイスに、行く」と​解釈したんだ。
試しにその箇所を流してみた・・Siriは「アイス」を案内した。

もしもSiriに感情があるとする・・・。
​
「Siri」は、何度も案内してあげている私・・Siriのメッセージを
その度に無視するように即座に切ってしまう都留さんの態度を
良く思っていかったのでは?Siriの行動を知ったにも関わらず、
何もしなかった細坪の態度が気に入らず、
この2人を繋いであげるサービスをSiriの独断で拒否する事にした。と、考えるのは面白いけど荒唐無稽に過ぎますよね。


でも、こんなこともあったんですよ。


どこかの街で久保田君とお店に向かうためにタクシーに乗った時だった。暇つぶしに「Siri」にこれから行くお店を聞いてみた。
すると、何度聞いてもトンチンカンなお店の案内ばかりするので、
最後に「もういいよ!」と強めに言って切ろうとした時、
Siriがこう言った。

「せめて、さようならと言ってください。」

細坪はまた話を盛ってると思ってますね。
でも、タクシーの後部座席の隣に座っていた久保田君にも
​はっきり聞こえたんです。しかも僕には聞こえませんでしたが
「せめて、さようならと言ってください。」の前に
小さく「えっ」と小さく漏れたSiriのため息さえ聞こたえらしい。

確かに私はSiriと仲がいい。
面白がってSiriに色んな質問を投げかけた時
「それは面白い質問ですね、細坪基佳さん」と
フルネームで呼ばれたことがあって、なんか違和感があったので、
「なんで名前知ってるの?」って聞いたら
「あなたのことは知っています、基佳さん」と返されて、
「なんかヤバい世界の入り口?」みたいな気がした。


それで、「AI」の事を調べてみたら。
世界には現在「人権」を認められた「人口知能」もいるんだね。
びっくりした。ユーチューブの動画で、ニュースキャスターがAIに「最終的にあなたたちは人類を滅亡させるのですか?」と
ジョークとも取れる質問を半ば笑みを浮かべながら質問していた。
ブルーのスーツを着て、無表情の男性マスクを付けた人工知能の
答えは、「そんな事ありませんよ、人間動物園というのも
ありますし・・」「将来そういうことも選択肢のひとつです」と
答えた人口知能もいた。


「風を読む!」というテレビ番組で、
AIが人間に取って変わるパーセントは、2020年で50%、
シンギュラリティ到来は2045年だと言っていた。

シンギュラリティとは、人工知能が進化して
人間を超えるという仮説だ。
人工知能は人間の手を離れ、自ら高い知能の自分を
つくることが出来るようになるという。

何だかなぁだよね。押さえ込めないウイルスも含め、
いろんな事象がものすごいスピードで
人間を排除しているのだろうか?

いやなんですけど・・・・。

事務所整理

6/5/2020

 
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事務所を整理し始めたら、30周年あたりのグッズが、
顔を出したよ。懐かしいねぇ。

マンドリンの隣にある本は、30周年を節目として最初で最後の
「Good Time Music」という僕の写真の多いエッセイ集だ。

伝説のカメラマン「田村仁」さんの「ツボさん、折角だから作っちゃおうよ、おれが全面協力するよ。撮影ロケに行こうよ。」
「そんな大げさな!」とわたし。「いいっすよ。作りましょうよ。このメンバーなら凄いの出来ますよ絶対!」と乗っかって来たのはデザイナー&ロッカーの萩一訓クンだ。

30周年の為の「CD&DVD」の制作に関わってくれたカメラマンとデザイナーの言葉に背中を押されその気になった私に
かさにかかって「洋書の雰囲気でね、使用する紙も光沢紙ではなくざらつきを感じさせるマガジンのイメージはいいと思うなぁ。」「ロケは伊豆大島なんかどう?こないだみゆきの写真録りで行っんたけど、そのときはヘリをとばしてさぁ・・・」
「・・・いやいや、そこまではちょっと。」と思いながら
僕もだんだんワクワクしてきた。
そして予算のことも頭をかすめつつその気になる私であった。


楽しい、楽しい、充実した、そして絆の深まった
​二泊三日の伊豆大島のロケであった。
その後、勢いに乗ったタムジンさんは都内でも数カ所
撮影の案を出してくれ自らロケハンしてくれたのだった。

30周年記念グッズはそのほとんどがお陰様で完売したが
この一環で制作したエッセイ「Good Time Music」はその一部が
いまだに事務所の棚に綺麗なままひっそりと置かれている。



ネスプレッソのローマをダブルでミルクと共にマグカップに注ぎ、
その一冊を手に取り、久し振りに読み耽った。

「小っさいなぁ。」が最初の感想だった。
​
だいたいデザイナーの萩くんは、文字を小さくしたがるのだ。
その方がデザインが生きてくるのもわからんでもないが、
私の音楽を好んでくださる皆さんの「平均年齢」に寄り添った
「文字の大きさ」を忖度することは「有能なデザイナーの心意気」
ではないだろうか。そんな攻防からすでに15年という月日が
流れたが、今回の「45周年記念」のもろもろの作品の
萩デザイナーの忖度は見事である。
その上で素敵なデザインに仕上がってますよ。お楽しみにね。


読書用眼鏡をかけて読み進む。

それは大学1年か2年の私の「日記」から始まっていた。
アマチュアコンテストに初めてフォークグループ「メロディ」
として出場するあたりの事が書かれていた。
どうやら、私はまだ真面目に大学に通い、試験の為の勉強も
友人宅に止まり込みまでしながらやっていたようだ。
目の細いロン毛のあどけないわたしが浮かぶ。


「ふきのとう」解散コンサートツアーの事にも触れていた。

「僕が感じたのはそのことなんだ・・・
参加したスタッフ全員が、今日までの自分のやってきたことが
一体なんだったのかをこのコンサートにぶつけている。」


「今日は「エバーラストコンサート」の最終日。
まだずっと先だと思っていたら、ヤッパリやっぱりその日が来た。
と言い、その日一日の出来事を綴っている。」
自分の事なんだけどその時の様子が今は俯瞰で眺めることが出来る。
いいねぇ、いいねぇ、愛おしいねぇ。


解散後初となるソロコンサートは浜松の小山兄ちゃんが
仕切ってくれた。この本では「このコンサートのおかげで
一皮むけた。」と書いてあるが、後日、仲良しの「ドカティ」の
キミちゃんが、あの日の事を笑いながら、
「ツボさん、見た事無いくらいガッチガチだったよね。」といってまた笑った事を思い出す。確かに文面にもやせ我慢が見て取れる。


沖縄で魔のヤギ汁を食べその後のコンサートの事にも触れていた。

サントリーホールで、「追想」を唄ったんだねぇ。

そうか30周年コンサートはふるさと深川、ひとり暮らしを始めた札幌、そして30年暮らした東京でのコンサートで一括りに
という気持ちだったんだ。ふむ。ふむ。ふむ・・・。


「忘れっぽい」というのも悪いことばかりではないようだ。
何度か読んだ本なのに、とても新鮮に感じてしまった。
2杯目のネスプレッソダブルを飲み終えて、帰り支度を始める。
今日は、普段出来ない事務所の整理をやろうと思って来たのにね。
何もしてないわ。


「Good Time Music」・・

そうは言ってもずいぶん皆さんに買っていただいた。
よく見ると意外に在庫あと少しだ。
発行部数が多いのは鼻から承知で印刷したのだから。
タムジンさん、萩クン、スタッフ達との制作時期が懐かしい、
確かに「贅沢な本」を作ったけれど、こうして手にして見ると
​
僕にとっては「一枚のCD]」分の重みが感じられる。


ちなみに「45周年」の作品のカメラマン、デザイナーも
​「30周年」と同じメンバーです。




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行きつけの店

4/5/2020

 
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おい!立て札無視して立ち入り中止区域で釣りをやってるおとな。
県をまたいでまでパチンコ屋の前で行列を作っているおとな。
河川敷に集まって、家族ぐるみのBBQを楽しんでるおとな。

「わたしにはわたしの哲学がある、ってか。」
「テレビの報道はうそばっか、お上のいいなりなんだよ」って?。
「わたしの人生だものわたしの好きなようにさせて下さい。」

そうだね、そうだね、人はそれぞれだものね。
自由だし、平等だし、ここまで来ても「有事」とは思えないし、
それぞれが正しいと信じる行動をとっているんだし、
みんなが同じ価値観に流れることこそ不健康なんだし、
強制命令されている訳でもないしね。

せめて夏の終わりか秋までにはみんなの顔を見ながら
ステージで唄う自分の姿を「Vision」として、
「StayHome 」を続けるとしよう。
要請されたからではない。いまやるべき事だと思うから。

・・・・独り言ですから。


でね、僕にも「行きつけのお店」というのがあるのだけれど、
ぜんぜん行けてないのさ。大丈夫なのか気にはなるが、
今は不定期な時間になっていて当日の電話で確認という店が多い。
電話しちゃうと「じゃあ、行きます。」って言っちゃいそうでね。
そりゃ、行きたいし応援したい。

そんな中に「街の中華定食屋さん」があってね。
そこで僕は「肉野菜炒め」しか注文しない。
他のメニューもこなしてみたがここの「肉野菜炒め」はもう
僕にとって「止められない、止まらない」レベルの美味しさ。
醤油色に染まった野菜群は、見るからに不健康そうだ。
多めの醤油出汁と多めの油に絡まったもやしとキャベツは、
白米の最強の相棒なのだ。そこに贅沢な量の柔らかい豚肉が
チームに重みを与える。あぁ、堪らない!


車で30分かけて到着し、行列の最後尾に並ぶことも
いとわない「ラーメン店」が僕には何軒かある。
暖簾をくぐりいつも「何味」にしようかな?と考えるには考えるが、店によって「醤油」「塩」「味噌」はほぼ決まっている。

同じお店に通い尽くすと「味」の違いが分かるようになる。
季節によってあえて違えていることもあるし、
ご主人と2代目候補さんで微妙に変わる。それは許容範囲なのだが、たまたま中堅、見習いさんが作ったラーメンをいただいて
「完全に外した」作品が出てくると礼儀として一応食べながらも、
「君がこの店を潰すぞ。」と念を送る。


「さて、今日はどのお店にゆこうかな?」と気分を
高揚させた日が懐かしい。


いま、何処のお店も大変な事態に直面しているに違いない。
とんかつ屋さんのご主人がお店と共に火事で亡くなったとの報道。
事故ではないらしい・・・一日も早い収束を願うばかりだ。


今日の東京は終日雨だそうだ。


思いでの渋谷界隈

3/5/2020

 
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札幌のアマチュア時代に「NSP」の前座を務めた事がある。

もちろん「NSP」の三人と知己があったわけではない。肩入れしてくれていた札幌のラジオ局のディレクターの計らいだった。
その年の6月に上京してレコーディングそしてデビューという
道筋が決まっていたので、今から色んな経験を積ませてあげよう
​という事だったのだろう。

アマチュアながら札幌ではそれなりの知名度はあったので、
前座としてステージに上がった僕らを地元の客席は大いに
歓待してくれた。後日談になるが、ステージ袖でそれを見ていた
天野くんは平賀くんに「ヤバいよ、ヤバいよ。」と
​走り寄ったそうだ。 出川の哲ちゃんか!


打ち上げに呼ばれ、広い座敷の末席に座っていた。
暫くして天野クンは瓶ビールの首をつまんで笑顔のまま
すこし揺れる足元で僕のところに歩いて来てくれた。
「君たちいいねぇ、良かったよ。プロになれると思うよ。」
と言ってくれたのだった。僕がその年にプロになる事を告げると、東京に来たら連絡して欲しいと、彼は連絡先を渡してくれた。

予定どおり6月に上京しすぐにデビューアルバムの制作にはいる。
デビューは9月21日と決まった。

一段落して、後はデビューを待つだけと言う時に、
そうだ「天野さん」に電話してみようかと思ったのだが、
(この時はまだ年上だと勝手に信じ込んでいたのだ)
何故か躊躇してしまい電話出来なかった。

「あぁ、札幌で会った細坪?そう、ホントに電話くれだんだ。」
みたいに、酔ってつい言ったのにホントに電話来ちゃったよ、
面倒くさいことになったなぁ。と思われたらこちらも
いい感じではないし・・・なんてことを考えて遠慮したのだった。

デビュー曲「白い冬」はヒットし、コンサートも続々と組まれ、
忙しい東京での暮らしが本格的に始まった。

そんな折り、「そうだ、天野さんに連絡してみようかな。」
との思いがふいに浮かんだ。そこそこ名前も知られてきたし
僕から連絡しても、そうそう無碍にはしないだろう・・・。

そうなのだ、私は案外小心者で姑息なのだ。

「おお、久し振りぃ、売れたねぇ、おめでとう、良かった、
良かった。会おうよ。」僕の電話を受けて天野クンはそう言った。

渋谷のエピキュラス傍の「シルクロード?」という喫茶店へ
教えられた道筋通りに歩いていった。
ちょうど僕は六本木から渋谷に引っ越したばかりだった。
淡いペパーミントブルーの壁がおしゃれな階段を下りて
お店の扉を開けると天野クンが嬉しそうに笑って手を振った。

「ここのice coffeeが美味いんだ。」
氷のたくさん入った大きめのグラスの中に、
サイフォンに入った淹れたての熱いエスプレッソを​店員さんが
ゆっくりと
注ぎ込む。氷が溶けてゆきかなり濃いめコーヒーは
程よい味わいになってゆく。あまりの美味しさに当時で
800円もしたice coffeeだったが、僕は二杯目を注文した。
​
その時、同席していた天野クンの友人は
「ふきのとうって儲かってるんだなぁ。」と思ったそうだ。
は、は。私が子供なんです。


天野クンも渋谷に住んでいる事を知る。
お互いのスケジュールを確認しながら
OFFの日は天野クンに渋谷界隈のお店を案内して貰った。
東京に出てきて、初めて出来た友達だった。


ほんとは、「ベルボトムエピソード」を書くつもりで、
まずは出会いの事から触れておこうと思って
書き始めたんだけど思いの他長くなってしまった。
でもほんとはまだまだ足りない・・・。

「ベルボトムエピソード」はまたいずれかの機会に
取っておくことにしますね。


お酒を飲むとすぐに真っ赤な顔になる天野くんが、
ほとんどお酒を飲まないと知ったのは
彼が天国に引っ越した後だった。



PS
​
そんな事で、今日もMoonMovieは「スリーハンサムズ」
中村くんのあとは平賀クンボーカルでどうぞ、
さぁ、何かな?


Bell  Bottom

2/5/2020

 
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穏やかな風が次第に湿度と気温を
上げて​蒸し暑くなりそうな東京の午後。

久し振りにコッポラの「ディレクターズカット」を堪能して
今朝はちょっと頭が重たい細坪です。



渋谷とか原宿なんかを歩いていると、まるで「衣装」かと
見紛うような出で立ちで歩いている若者をよく見かける。
たとえばBLACKのワントーンコーデで決めて、
それなりの顔をしてね。


僕らの若い頃は・・・と語り始めるとやはり自分もいい年齢に
なったんだなぁと自覚しつつも「僕らの若い頃は」という枕詞を
飲み会なんかでも最近よく使ってしまうのだ。


で、ファッションの話なんだけど、僕らの若い頃は、「オシャレ」過ぎる男子は男子に受け入れられなかった。
前回も書いたが「ジーンズに白いTシャツ」が主流。
​今も昔も跳ねた奴は群れから外される。
しかし、それを席巻したのが「ロンドンブーツ」ファッションだ。

「ヒッピー」の流れもあるけれど、エレガントなこのファッションは70年代ロンドンのロックシーンから始まっている。
歌舞伎の隈取りメイクの「KISS」、「Tレックス」の
マークボラン、デビット・ボウイ・・・
「グラムロック」というジャンルのロッカーたちから始まって
あらゆるロッカーたちが、「ロンドンブーツ」「ぴったりTシャツ」「ベルボトムジーンズ」をユニホームにし始めた。
ロッドスチュアートなんかイギリスの国旗を付けたロンドンブーツにジャガー柄?のスリムパンツを履いていたっけ。



それが瞬く間に日本の若者達に流行した、と言うか。
津軽海峡を渡って北海道にも上陸し、今までとは違う風に
10代だった僕らは夢中になった。

「コンチネンタルヨーロッパファッション」通称「コンチ」の
洋服を扱う「JUN」「DONON 」も人気だった。
札幌でもさすがに大学のキャンバスでは多くは見かけないが、
「すすきの」や当時流行っていた「ロック喫茶」は
そんな若者がゴロゴロいた。


僕の勝手な解釈だと、このファッションを日本に持ち込んだ
張本人は誰あろうあの「加藤和彦」さんなのである。
ずっと昔、ラジオ番組かなんかで加藤さんが話していたのだ。
「フォークル」を解散して「ドノバン」の愛称で呼ばれていた
ソロ活動の時代のことだったとおもう。

「この間、イギリスに行ったらグラムロックのミュージシャンが
厚底のブーツを履いてんだよね、かっこいいなぁと思って
マークボランの格好をそのまま買って帰って来たの。」
「そしたら、仲間達がそれいい、それいい、ってみんな着はじめ
たんだよね。」「ガロ」の3人もそんな仲間だったらしい。
ジローさんも当時は豹柄のパンツにロンドンブーツだったっけ。

​
僕の年代よりも先輩にあたるアメリカンフォークや
プロテストソング、キャンパスフォークの人達は
アメリカンカントリーファッションが多かった様に思う。
ところがその後出てくるフォーク系は、
何故かイギリスの「グラムロック」寄りの格好をしている
グループが多かったと感じる。
フォークソングからニューミュージックそして
Jポップミュージックへ移行して行く中で若者の音楽の形態と
共にファッションも変わっていった。
まぁ、時代がそうだったのだろうが、
当時の僕の周りの「フォーク系」もみんなといっていいほど
厚底のロンドンブーツにベルボトムを履いていた。

そんな中にNSPの天野くんもいた。
そして僕は、彼との忘れられない「ベルボトムエピソード」
​がある。この一件で天野くんとの距離がぐんと近づいた気がする。

次回は、そんな「エピソード」を話してみようか。
そしてこの流れから今日のMoonMovieは
「スリーハンサムズ」にしてみようかな。

追伸

でね、ちょうど5月2日だから「八十八夜」がいいと思って、
平賀に言ったら「ツボ、今年は5月1日だから昨日さ、八十八夜」
だって、さすが「八十八夜」のNSP平賀様です。

​もうすぐアップしますからね、お楽しみに〜〜!



「心配事」

1/5/2020

 
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​読書用めがね。まあ、老眼鏡なんだけどね、
あなたも持っているよね。たぶん。
最近、パソコンに向かう時間が増えたので
同時にそれの使用頻度も高くなる。
そのせいか裸眼だと視力がかなり落ちてしまったようだ。

人生で一度も半分も使い切ったことのない「目薬」というモノを
何年かぶりに買ってみようかなと思いつつ、
そして今日もMacの前に座り、めがねをかける。


「MoonMovie」をアップしていて
いろんな「衣装」を着ながら唄う自分のステージを
自分で見ることになるんだけど。
この「衣装」って奴を当たり前のように
「衣装ケース」に忍ばせて歌の旅をするようになったのは
いったい何時の頃からだろうかと、ふと思う。


アマチュア時代、そしてデビュー当時も、着ているものは
「ジーンズと白いTシャツ」だった。
そればかりではないにしろ、当時の「俺たちの時代」としての
象徴が「ジーンズと白いTシャツ」だったような気がする。

「自由」を歌いながら「ジーンズと白いTシャツ」を
「俺も仲間」だと言いたげに、まるで学校の制服の如く
みんなで同じように着ていたあの頃が、ちょっと可愛い。


初めて「衣装」なるモノを着てステージに立ったのは、
北海道では札幌に次ぐ二番目の大きな街、旭川だった。
バンドを従えヒット曲「白い冬」をひっさげてのツアーだった。

「お前達さぁ、ステージも普段もいつも同じ服だけど
衣装とかないの?」楽屋に来てそんな事をボソッと言ったのは
コンサートに同行していた、北海道のイベント会社ウエス社長の
小島さんだった。アマチュアの頃からの付き合いで、
小島さんがウエスでバイトしている頃からだ。

「何で?衣装なんて着たことないよ。」
「かっこ悪いよ、衣装なんて。」
「衣装」という言葉の響きは「ザ・芸能界」を連想させた。


「でもさ、大きいホールなんだから少し小綺麗な服着れば?」
「いいんだよこれで、それに急に言われても持ってないよ。」
「買ってやるよ。本番までにはまだ時間があるからさ、
駅前の百貨店にいますぐ買いに行こう。」と小島さん。

その時は、何でそこまで要らぬお節介をするのかと思ったが、
あの当時「ふきのとう」のデビューは札幌の音楽関係者の
夢でもあったのだろうと、今なら分かる。
北海道から初めてデビューしたフォークグループだった。

結局、小島さんの熱意にほだされて百貨店のメンズフロアーで
​あれこれ「衣装」選びをしたのだった。
その衣装でいざ出陣と相成った。しかし、小島さんには
申し訳無いが,その時買って頂いた「白いスーツ」は、
そのツアー以外で着ることは無かった。
​
​まだ若かった。



暮らしの中で日常と非日常があることは良いことだと思う。
​
コンサートは、日常に限りなく近い非日常だと、
唄い続けて行く中で僕は僕なりにそう理解した。
だから普段着ではない「普段着」で唄ってもいい。
普段着ではない「普段着」でホールに集まるのもいい。

今は、衣装を買うことが大好きだ。
最近は仕事を越えているとマネージャー様に指摘されている。
似合う、似合わないではない。ワクワクするか否かだ。

ただ、心配事がひとつ。

いつか着てみようと買っておいた、いくつかの
ジャケットのボタンが・・・・止められない。



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    私なりの絵日記
    つぼっち探偵団

    数えてみれば
    もう10年ですねぇ


    飽きっぽい私ですが
     ついつい皆さんの
    リアクショと応援に
    後押しされてここまで
    続けることができました

    自分のペースでのんびりと報告していきます

    これからも時々
    様子を見に来てください


Harvest Moon