上げて蒸し暑くなりそうな東京の午後。
久し振りにコッポラの「ディレクターズカット」を堪能して
今朝はちょっと頭が重たい細坪です。
渋谷とか原宿なんかを歩いていると、まるで「衣装」かと
見紛うような出で立ちで歩いている若者をよく見かける。
たとえばBLACKのワントーンコーデで決めて、
それなりの顔をしてね。
僕らの若い頃は・・・と語り始めるとやはり自分もいい年齢に
なったんだなぁと自覚しつつも「僕らの若い頃は」という枕詞を
飲み会なんかでも最近よく使ってしまうのだ。
で、ファッションの話なんだけど、僕らの若い頃は、「オシャレ」過ぎる男子は男子に受け入れられなかった。
前回も書いたが「ジーンズに白いTシャツ」が主流。
今も昔も跳ねた奴は群れから外される。
しかし、それを席巻したのが「ロンドンブーツ」ファッションだ。
「ヒッピー」の流れもあるけれど、エレガントなこのファッションは70年代ロンドンのロックシーンから始まっている。
歌舞伎の隈取りメイクの「KISS」、「Tレックス」の
マークボラン、デビット・ボウイ・・・
「グラムロック」というジャンルのロッカーたちから始まって
あらゆるロッカーたちが、「ロンドンブーツ」「ぴったりTシャツ」「ベルボトムジーンズ」をユニホームにし始めた。
ロッドスチュアートなんかイギリスの国旗を付けたロンドンブーツにジャガー柄?のスリムパンツを履いていたっけ。
それが瞬く間に日本の若者達に流行した、と言うか。
津軽海峡を渡って北海道にも上陸し、今までとは違う風に
10代だった僕らは夢中になった。
「コンチネンタルヨーロッパファッション」通称「コンチ」の
洋服を扱う「JUN」「DONON 」も人気だった。
札幌でもさすがに大学のキャンバスでは多くは見かけないが、
「すすきの」や当時流行っていた「ロック喫茶」は
そんな若者がゴロゴロいた。
僕の勝手な解釈だと、このファッションを日本に持ち込んだ
張本人は誰あろうあの「加藤和彦」さんなのである。
ずっと昔、ラジオ番組かなんかで加藤さんが話していたのだ。
「フォークル」を解散して「ドノバン」の愛称で呼ばれていた
ソロ活動の時代のことだったとおもう。
「この間、イギリスに行ったらグラムロックのミュージシャンが
厚底のブーツを履いてんだよね、かっこいいなぁと思って
マークボランの格好をそのまま買って帰って来たの。」
「そしたら、仲間達がそれいい、それいい、ってみんな着はじめ
たんだよね。」「ガロ」の3人もそんな仲間だったらしい。
ジローさんも当時は豹柄のパンツにロンドンブーツだったっけ。
僕の年代よりも先輩にあたるアメリカンフォークや
プロテストソング、キャンパスフォークの人達は
アメリカンカントリーファッションが多かった様に思う。
ところがその後出てくるフォーク系は、
何故かイギリスの「グラムロック」寄りの格好をしている
グループが多かったと感じる。
フォークソングからニューミュージックそして
Jポップミュージックへ移行して行く中で若者の音楽の形態と
共にファッションも変わっていった。
まぁ、時代がそうだったのだろうが、
当時の僕の周りの「フォーク系」もみんなといっていいほど
厚底のロンドンブーツにベルボトムを履いていた。
そんな中にNSPの天野くんもいた。
そして僕は、彼との忘れられない「ベルボトムエピソード」
がある。この一件で天野くんとの距離がぐんと近づいた気がする。
次回は、そんな「エピソード」を話してみようか。
そしてこの流れから今日のMoonMovieは
「スリーハンサムズ」にしてみようかな。
追伸
でね、ちょうど5月2日だから「八十八夜」がいいと思って、
平賀に言ったら「ツボ、今年は5月1日だから昨日さ、八十八夜」
だって、さすが「八十八夜」のNSP平賀様です。
もうすぐアップしますからね、お楽しみに〜〜!