私達は大船渡に行ってきました。
ナベちゃんの説明を聞きながら、
まだまだ復興にはほど遠い「街だった跡地」で車を走らせていると
あの日の惨事が思い起こされて、みんな押し黙ってしまいました。
たいへんな事が起きてしまったんだな。
あらためて強く思いました。
被災地の今の姿を直に見ておきたいということで
私達は大船渡に行ってきました。 ナベちゃんの説明を聞きながら、 まだまだ復興にはほど遠い「街だった跡地」で車を走らせていると あの日の惨事が思い起こされて、みんな押し黙ってしまいました。 たいへんな事が起きてしまったんだな。 あらためて強く思いました。 NSPを応援している楽器屋さんは、やはりここでした。
店内の入り口直ぐの右手に「NSPコーナー」があって 中ちゃんや平賀の写真が飾られている、 そしてひときわ大きい天野のポートレート。 「寄せ書きノート」にメッセージを書いて 沖縄さん、京都さんと記念写真。 予定外でしたが、コンサートの翌日も天野君に会えました。 「せっかくみんなで来てくれたんだから、もう少し 居れば良いじゃん。」って言ってるみたいだね。 「この通りはね、NSP青春通りって言うんだって。
一日中NSPの歌が流れているそうだよ。」 フレンドを後にして界隈を歩きながら、 NSPの二人に教えて貰った情報を、沖縄さんと京都さんに 伝えた。 「向こうになんか楽器屋さんの看板があるね。」とまっちゃん。 「確か、この通りにアマチュア時代からNSPを応援してくれていた楽器屋さんがあると聞いてたよ、あそこかもね。」 「行って見よう、行って見よう。」とまっちゃんがすこし 急ぎ足になった。 天野Anniversaryの翌日、
なべちゃんの案内で、私達一行は 行列の出来るというお蕎麦屋さんへ向かった。 「あれ〜〜?定休日はちゃんとチェックしたんだけどなぁ。」 と運転主のナベちゃん。 そうなんです。お店が開いてなかったんです。 去年、「カツ丼屋さん」でも そんなことありましたね、なべちゃん。 それも、ある意味オフ日の楽しみです。 郊外らしく蕎麦屋さんの周りを見渡しても、 食事処が見当たらない。「ここら辺りはお店がないねぇ。 ねぇ、なべちゃん、ここから一番近い町はどこ?」 「そうですねぇ、一関ですかねぇ。」 盛岡から車を走らせて、なんと天野君のふるさとに 来ていたとは・・・。 「じゃぁ、「これも何かの縁でしょう」と言う事で 一関に行こう。」以前、中村に案内された「パフェ・フレンド」 にはパフェどころかスパゲティ、ハンバーグ、ラーメン、 なんでもあるよ。 そんな訳で、私は前回「ここのラーメンはかなり美味いよ」と せっかく中村が進めてくれたラーメンを蹴って、 「ハンバーグ&エビフライセット」を注文したので、 今回は中村貴之さんお薦めの「普通のラーメン」を 食べました。 このシンプルさが懐かしくて、暖かいよね。 この日私が着ていたのは、 以前、今西からプレゼントしていただいた、 「ウルトラマン観音」のTシャツなんだぜ〜。 この後、ナベちゃんが案内してくれると言う
超人気の蕎麦屋さんに行くことになってますが、 なぜか、気がつくと何故か「ラーメン」を食べていた。 盛岡コンサートの翌日、
私達は世界遺産の「平泉」に寄りました。 初めて訪れる沖縄のまっちゃんは、 陸奥の中世の繁栄のシンボル 「中尊寺の金色堂」を見て何を思う。 全面に金箔を貼ったうえに、シルクロードを渡ってきた 「夜光貝」「象牙」そして無数の宝石で修飾されたお堂の 中央にはに数々の仏を従えた金色の阿弥陀如来が輝く。 莫大な富と文化とを持つ北国の覇権国家をしのぶことが出来る。 「南の島」と「みちのく」・・・いまはひとつの国だが、 本来別々の文化と歴史を内包している、 中央の強大な権力に侵略される前までは。 スリハンTシャツに着替えてアンコールへ。 Tシャツを作ってくれた、「Tシャツ工場の荘ちゃん」も この日は会場に来てくれていたよ。 会場と一体となって唄ったアンコールのラストソング
「めぐり逢いはすべてを越えて」のメロディーは コンサートが終わった後も会場のみんなの心に いつまでも響いてゆくようでした。 それが Endless Song さよならの後に聴こえてくるよ・・ ソロのコンサートでは唄いながらリアルタイムで
構成を考えたり流れを読んだりしながらを ひとりで進行して行く訳で・・・ スリハンの時は、中村や平賀が唄うのをサポートをしたり、 彼らが客席のみんなとやり取りしているのを 唯々、楽しむ時間がある。 お客さんが彼らの歌に大きな拍手を送っていたり 彼らのエピソードに大笑いしていると嬉しくなる。 スリハンっていいなぁ。と思う。 コンサートの本数が少ないのは正解なのだ。 スリハンは仕事になってはいけない。(プロだけど) スリハンはいつも新鮮でいて欲しい。(じじいだけど) EXは「スタンディング」でのライブにも対応した設計で
ステージが高くて客席が離れているホールだ。 得てしてこの様なステージでは客席の間に 干渉地帯が出来てしまい、最後まで一体感が 生まれにくいこともままある。 そこで、今回はスリハン恒例?の緞帳は使わず、 オープニングからステージギリギリまでお客様に寄って行って 全員でみなさんにご挨拶からスタートしました。 最初から、一体感を作ってしまおうと言う作戦だ。 この、オープニングトークが何だか楽しかった。 眩しい7月の青い空の下。
中村君をピックアップして マネージャーの竹内さんの運転する車で六本木に向かう。 六本木通り沿いにある、「EX THEATER ROPPONGI」の入り口には スリーハンサムズのポスターとコンサートタイトルが大きく掲げられていた。 ここから歩いて10分と少し行ったところにある坂道。 その途中にあった小さな木造アパート。 そこに私が暮らしていたのはもう43年も昔のこと。 上京してはじめて住んだ思いでの場所だ。 遅い夜にとぼとぼ一人で歩いて行って、 牛肉とピーマンのあんかけラーメンを食べた 「中国飯店」はそのままの外装でEX THEATERの 数件となりにまだあった。 ![]() 正面の盧舎那仏のその丁度真裏に「三面開運尊天」と 書かれた天部の仏様が、なべちゃんが携帯で照らした 暗い闇の中から、お姿を現した。 三面だけに、お顔が3っあった。 「この羅漢の中にあなたと同じ顔がひとつありますので 探してみて下さい」と、ガイドさんはよく言う。 「これ、ツボやねぇ。」と今西がひとりの羅漢を指さした。 「えっ、これ? そうかなぁ。」 なんか上向いては、は、は、ってやってるよ。 「あれがなんで俺なの?」 「よくあんな格好しますやん。」 と言って笑いながら今西は携帯から 一枚の写真を選んで私に見せた。 むむ、ノーコメント・・・・。 東北ののどかな時間を楽しんでいる。 さっきのおじいさん情報だと、500羅漢像は
実際は499体しかなく残りの1体は行方知れずだという。 しかし、この黄金の金箔の羅漢は、 「宗教を学ぶとは本来、逞しくて、荒々しく勇壮な体験なんだ!」 と、言っている気がする。 おや?なべちゃん何か見えるの? 羅漢堂の真ん中にいらっしゃるのは、
盧舎那仏なんだって。 奈良の大仏も盧舎那仏だよね。 空海の密教では、大日如来と呼ばれる仏の親分?だ。 大日・・・つまりすべてを照らす太陽・・遍照金剛。 その周りを囲んでる黄金の500羅漢。壮観ですわ。 羅漢堂に入る前に、少し予備知識をと思い
入場券を売るおじいちゃんに2,3質問をしてみたところ この方、以外にお話好きでとても丁寧にたくさんの情報を くれたのだが、きっかけがつかめず なかなか羅漢堂に入れないのであった。 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |