毎日のバスタイムが2日に1回に
なってしまった怠け者の細坪です。
朝起きて、窓を開けると爽やかな風がはいってきます。
そうすると急にくしゃみの3連発。
その時、あぁ、僕は花粉症だったんだと思い出す。
アイツのせいですっかり忘れていた。
明日から5月だね。
僕には「5月」という歌があります。
爽やかな風に身を任せて天使が振りまいてゆく春の種を
片っ端から拾い集めて、ひとり締めしてしまう少年ピエロの恋心。
このメルヘンチックな曲の「イメージロケ地」は札幌の中島公園。
札幌の中心街から僕の住んでいたアパートの帰り道にありました。
札幌パークホテルの横から入り、池を眺めながら豊平館を過ぎ、
しばらく歩いて電車通りの信号を横断すると僕の暮らした
アパートがありました。今も忘れない「南11条西8丁目 秀美荘」
この中島公園でのⅠ番の思い出は「フォーク音楽祭」の決勝戦。
公園の中に「中島体育館」という施設があった「藤波辰巳対
長州力の一騎打ちに藤原親分が乱入し試合をぶち壊した
あの伝説の試合の場所だ。」しかもその時、私はその会場にいた。
まあ、それはいいとして「中島体育館」はとても大きな会場で
何千人も収容できた。予選を勝ち抜いて全道から集まってきた
アマチアバンドがここで遂に一位を決めるのだ。
リハーサルでいくつかのバンドの演奏を聞いていたが、
ライバル意識は芽生えず、普段の音楽仲間達とは毛並みの違う
サウンドにワクワクしたり、感心したり、カッコ良かったり、
希に「よく決勝にこれたなぁ」もいたにはいた。
30組ほどいたろうか・・忘れた。
コンテストがスタートし、やがて僕らの出番が来た。
ステージの中央から客席を見渡すとまぁなんということだ、
見渡す限りの人、人、人・・・。
富士急ハイランドの「フジヤマ」の頂上で「ヒヤッ」とした
感覚に近いだろうか?いや、そうでもないか。いや、全然違う。
なに言ってんだかわかリませんけど・・・・じぶんでも。
ドーパミンが、私の体内で大量に分泌されたのは確かなことだ。
緊張感もなく、何の衒いもなく「夕暮れの街」を楽しんだ。
そして、「気持ちよかった~。」が全身を充たす。
唄い終わって、ステージの袖で他のバンドの演奏を
聞いていたのだが何故か集中できない。
そうしたいと思っている訳でもないのに、
頭のなかでずっと自分の唄っている姿を何度も反復しているのだ。
自分に酔っているとはこういうことか。
ナルちゃんだしね、私あたり。
そのうち演奏を見ていることにも飽きて、
ふらっと中島体育館の外に出た。
爽やかな風が吹いていた。季節はたぶん7月。
中島公園の緑の中を歩いて、小川のせせらぎに腰をおろす。
その時の風景や匂い、水の音を、何故か今もちゃんと憶えてる。
なんだ?この気持ちよさは、達成感とも、安心感とも違う。
今で言う「ゾーン」に生まれて初めて触れたが故の
余韻とでもいうか。
で、いつの間にか木漏れ陽に包まれながら寝てしまった。
「はっ」として目が覚める。
どれほど時間が経ったのかはわからない。
「早く会場に戻らないと・・・。」と気持ちが焦る。
急いで中島体育館へ向かうと、入り口の扉が大きく開いていて、
中からぞろぞろと人の群れが吐き出されてゆくのが見えた。
その人波をかき分けるように僕は体育館に入ってゆこうとする。
その人波は僕を見つけると笑顔で「おめでとう」「おめでとう」と
声をかけてくれた。僕は大会の結果が決まった事を他人事のように聞いていた。正直、優勝を考えていなかったし求めていなかった。
プロになりたいと思った事もなかった。
遅すぎますかねぇ、いまは「あの日」に心から感謝しています。
今日まで歩いた来た「私の道」の途中の 大きな、大きな
「あの日」ですから・・・
そんな、節目が僕らには数え切れない程あるんでしょうね。
このOFFを利用してそんなあなたの「あの日」を
ゆっくり思いだしたり、数えたりしてみませんか。
では、私もこれから調べ物があるので・・・
「好きぃ〜なのは 5月の風〜」