ワクワクしながら、あれこれ考て
いたことがなんだか本番では とっても楽しくってさ。 悲しいバーラードも「笑顔」で 歌っていたってさ。 それはね、青い海を眺めている みんなの顔がマスク越しなのに とても穏やかで優しさが滲んで いたので僕もついつい頬が緩んで しまったのでした。 どう? 楽しかった? 僕らはあの日が「夏の思い出」 にまで昇華しちゃいました。 鎌倉プリンスに来てくださった皆さん 自宅の空間で配信を楽しんでくださった皆さん まだまだ正常ではない音楽活動に 参加してくれて心から感謝します。 25日は、ありがとう! 私の後ろにいるのは背後霊 ではなく当日の音響の畑中さんです。 リハーサルも無事終了しました。
いよいよ明後日に迫ってきた 鎌倉プリンスホテルですね。 訪れる機会の少ないホテルです コンサートも無論ですが、 鎌倉のリゾートホテルの雰囲気を 存分にたのしみましょう。 何気に「Over the Rainbow」の newTシャツの宣伝もしております。 先日、スタッフの皆さんが鎌倉 プリンスホテルへロケハンに 行って来てくれた。 初めて使う会場なので、音響、 配信用のカメラやステージの 設置場所などを確認するためだ。 送られて来た写真を見てびっくり。 広過ぎない? ディスタンスのこともあって 25日は4部屋ぶち抜きで使わせて頂ける との事だ。なんかディナーショウ みたいでとてもありがたいけれど ・・・広過ぎない? 普通のコンサートなので円卓の テーブルはなくなると思いますが、 参加する皆さんにはロビーやその他で 豪華な気分を味わって貰えそうです。 でね、 ブラウンのストライプのカーテンを 開けると一面のガラス窓から 海が望めるんだってさ。 もう曲目は決めてしまっているけど そんな風景なら海の歌もいいねぇ。 再び悩む私です。 何はともあれ、鎌倉を一緒に 楽しもうではありませんか! あと5日!! レコーディングの仕上げ、
トラックダウンの最終日に メンバーが集まってくれた。 最後の曲が仕上がったあと、 全曲を聴いてみることになった。 そこで、曲目を書いた9枚の紙を 作ってみんなに渡し、 「曲順を作って見てよ。」と言った。 それぞれ思い思いにトランプの カードを並べるみたいにフローリング の床に曲名の書かれた紙を並べ始めた。 僕の中では、ある程度出来上がった 曲順があったのだけれど、みんなが 一体どんな並び順にするのか興味深々。 ぼくの構想は表題曲のクロスロードが 1曲目を飾るというものだった。 5~6人いただろうか、あれこれと曲を 入れ替えてはみんなで何度も聴いた。 いつの間にか朝になっていた。 たしか雪が降って来たのもこの日だと 記憶している。 ツルスタのビールサーバーが空になった。 最初に曲順を見せ合ったとき、 半数以上が同じ曲を選んでいた。 僕はクロスロード案を引っ込めて その曲を1曲目とした。「旧友」だった。 あの夜のメンバーは今となれば かけがえのない僕の「旧友」達である。 一枚だけ都留さんの写った写真があった。 「そろそろ、ご飯にしますか」と都留さんが 何種類もの献立表を見せてくれる。 この日はお蕎麦屋さんだったんだろう。 僕は鍋焼きうどんが大好きだ。 都留さんはミュージシャン以外に エンジニアの作業もしているので、 忙し過ぎだった。あの頃は都留さんに とって食事が一番のストレス解消 だったのかもしれない。 僕のなかの「都留さん史上」あの頃が 一番豊かでふくよかな体型をなさって いらっしゃいました。 いまは、ダンディな学者さんタイプ だものね。 会社の段ボールの中から、またひとつ 大切な思い出が飛び出してきて 僕の心をなごませてくれたのだった。 懐かしや天野くん。 天野君とのレコーディング じつはこれが2回目でした。 NSPのシングル盤「愛のナイフ」の レコーディングにふらっと遊びに 行ったら急にコーラスにかり出された ことがあったんだ。ぴ~っぴぴぴ~・・・。 川崎クラブチッタのジョイントの時 せっかくだから1曲一緒に作ろうか ってなって出来たのが「風が違う」 それが1989年のこと。 それから10年ほど経って、天野に 「風が違う」をレコーディングしよう かと思ってるんだけどいいかなぁ。」 「全然いいよ。」っ軽く言うので、 「じゃ、一緒に唄う?」って聞いたら 「全然いいよ。」と即OK! この頃の天野は、自分の音楽活動は 横に置いて若いアーティストの発掘とか プロデュース業なんかが多かったから てっきり「それは無理」と答えると思って いたのでこちらもびっくりしながらも とてもうれしかったのを覚えてる。 1999年のことだ。 そして2002年NSP復活! いつだってNSPだったよね。 脱帽、天野滋さん。 御存知 「我爱你」の135。 梶原茂人さんと高木茂治さん。 「萎れた花を捨てて」のコーラスに 来てくれたのだが、スタジオのマイク の前に立った時、急に梶原君が 「あの、イントロの前のアカペラの コーラスを考えて来たんですけど、 やって見てもいいですか?」「はっ?」 梶原君は急に「知らない国の言葉で 歌い出した。 早速、コーラスパートを合わせて、 録音して見た。卓の前に座っていた 都留さんが、「これどこの国の?」 「さあ?」「でもいい感じじゃない。」 「ねっ。」という訳で「 Kaziwalanguage」 は急遽採用され、135独特の無国籍な 世界観がboostされたのだった。 素晴らしい! 当時の135のところの社長さんが 北海道出身でその縁で繋がった。 Natureに出ていただいて「我爱你」を 一緒に唄ったこともありました。 その後、135の華のあるパーカッション &ボーカルの本田義博君を 「ソングフォーメモリーズ」ツアーに 誘って一緒に歌の旅をしたことも 懐かしい思い出です。 当時は三茶でよく飲んだよね。 このアルバムはアレンジを都留さんと 河合さんに振り分けてお願いした。 久保田さんも活躍しているけれど 曲によってはアレンジャーの構想で こんなギターリスト達も登場した。 数々の有名なアーティストのライブ サポートをしている面々だ。 右上は「ももちゃん」こと丸山ももたろうさん (旧友、風が違う、SilverMoon、木もれ陽) 久保田君のようなロックテイストは ないけれど繊細なぬくもりを持っている 一度、秩父あたりでソロコンに 付き合っていただいたことがあった。 右下はアコカフェにも参加している 都留さんお気に入りのギタリスト 古川昌義さんだ。(終章、セクシー) 色々なジャンルの音楽をこなせるのか それとも色々なジャンルの音楽家に 愛されるスキルをもっているのか 彼がサポートしているアーティストの 数は尋常ではない。聴けばわかる。 そして、左が尾崎孝さん。 ラップスチールのプレイヤーだ。 (クロスロード、シルバームーン) ウエストコーストロックには欠かせない のがこのラップスチールギター。 スチールギターはハワイアンや カントリーミュージックでお馴染みだ。 マヒナスターズのリーダーが弾いて いたやつだ。(ってもそりゃ知らないよね) それにくらべてラップスチールギターは ギターをちょこんと膝の上に乗せて ボトルネックバーで弦をスライドさせる という奏法だ。その昔はウイスキーの瓶の クビのところを薬指にはめて演奏した。 僕は70年代にジャクソンブラウンの 相方だった、デビットリンドレイの ラップスチールにハマったのだった。 河合さんにこの曲にはラップスチールを 入れて欲しいとお願いしたらスタジオに 登場したのが尾崎孝さんと言うわけだ。 クロスロードのイントロは今でも 私大好きです。 つい最近、聞いた話なのだが 河合さんのグループ「TRI BARREL」の メンバーの尾崎博志さんは彼の息子さん なのだそうです。いい話だね。 「TRYBARREL」には最新のオリジナルCD 「OldTimeisGoodTime」に参加して もらいましたね。 河合さんの縁で親子二代の参加となり うれしい限りです。 チェロの前田善彦さんと ピアニストの中村由利子さん。 それぞれソロで活動をしている なか都留さんと共に95年。 アコースティックカフェとして デビューした二人です。 都留さんはカメラマンなので 都留さんの写真がありません。 僕のDVD「蒼の轍」はそんな アコースティックカフェの 三人にサポートしていただき folk songをclassicalな装いで 発表した「liveDVD」でした。 リハビリ中の由利子さんの早い 回復を願っています。 久保田さんはすでに「ツボソロ」に 参加していたか、その前後くらいの 頃で、じつに少年の面差しですね。 河合さんには95年あたりのCD 「サムワンライクユー」で1~2曲編曲 をお願いして以来となる。 昔からイケメンですねぇ。 「ぴー助」という愛称で呼ばれていた パーカッショニストの山本恭久さん Natureにも何度か参加してくれました。 レコーディング風景が切り取られた 黄色い表紙の写真ファイルの中に 僕や音楽仲間たちの幼い? 当時の横顔が沢山詰まっていた。 写真に写ったスタジオの カレンダーを見ると1998年とある。 いまから24年ほど前である。 昔から応援してくれている 皆さんの中にはこのレコーディングが 出来たばかりの都留さんスタジオで 制作されたCD「クロスロード」だと 気づかれた方もいらっしゃるのでは? 都留さんが自分のスタジオを持ったと 知って、それならばと初めて「ツルスタ」 でたっぷり2ヶ月以上の時間をかけて 制作したのが「クロスロード」でした。 とても想い出に残るレコーディングで、 CD「011」の時の様に、当時のふきのとうの メンバーと再び四つに組んで本格的に 音楽したのは実に6~7年ぶりの事だった。 以来、最新の「15編の物語」に至るまで この関係は続いている。 おそらく都留さんが撮影したであろう 当時のメンバー様の横顔をほんの 少しだけ紹介しよう。 つぼっちマニアなら、その若い面影が 誰のものなのか、きっとわかると思うよ。 関東も梅雨入りです。 昨日あたりもそぼ降る雨に 紫陽花が「らしい」佇まいで 濡れておりました。 そうだよな「紫陽花」は唄わなきゃ だよなと独り言。 でも海の見える丘のホテルならば 海の曲も唄いたいなぁ。などと つれずれなるままに手探りする。 そうなんです。 鎌倉の曲目ををそろそろ 組み立て始めようかなと・・・。 ANHギターでどんな曲を弾こう? ひとりで唄う場面をつくろうか? 踊ろうか?・・・それはないな。 紫陽花が美しい季節です。 とても久し振りに池袋に 行ってきた。 プライベートだと25年くらい この街にやって来た記憶がない。 初めての街のようだ。 僕の知っている池袋駅前ではない。 駅前のコーヒーショップの テラスに腰を下ろし 噴水から吹く涼風を楽しんだ。 それは心地よくて 僕を和ませてくれた。 この噴水の向こう側に 東京芸術劇場がある。 芸術劇場のステージに妹尾武さんが 登場するのでそれを楽しみに来たのが 池袋にやって来た理由だ。 ジャズピアニストの山中千尋さんとの ピアノ共演はそれはそれは 素晴らしかった。感動した。 薄々知ってはいたけれど、たけちゃんは 才能豊かなピアニストだったのだ。 感動した。 そう言えば妹尾さんも参加してくれた Live DVD「Over the rainbow」を コツコツと制作していましたが、 やっと7月発売にまでこぎつけました。 「nature of year 2022」を丸ごと一枚に 詰め込みました。 キュリアンに来てくれた皆さんも、 配信に参加した皆さんも、 あるいはnatureを見逃した皆さんも、 ぜひお手元に置いて楽しんでくれたら 嬉しいです。 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |