強大な帝国が古代東北にはあったと信じています。
美しい自然、太陽の輝き、
なんだかよくわからない古い風習と星の輝き。
青森もいいけど「ツガル」という響きはいいなぁ。
何故か馬と狛犬頬っ被り。
ぼくは畿内の大和朝廷を脅かすほどの
強大な帝国が古代東北にはあったと信じています。 美しい自然、太陽の輝き、 なんだかよくわからない古い風習と星の輝き。 青森もいいけど「ツガル」という響きはいいなぁ。 何故か馬と狛犬頬っ被り。 この夜はバラードを中心に歌いました、そんな気分でした。
ライブ直前まで曲目を入れ替えたりしながら楽しんでいました。 僕の知っている太宰治のエピソードや 出かけた日吉神社ことや 津軽五所川原で発見された「東日流外三郡誌」と言う古文書の事を 囲炉裏を囲んでみんなと語り合うような気分で語り、そして唄いました。 僕の話にも、そして歌にもたくさん拍手をいただきました。 ・・・駄洒落にもね。 また斜陽館で唄う機会があるかどうかそれは分かりませんが、 こうして歌う機会を得た事は僕にとって大きな喜びでした。 「 もう資料館に寄る時間はないよね。」
「 そうですねぇ、そろそろ向かった方がいいかもしれませんね。」 と近畿日本ツーリストの野崎さん。 「 そうだね、本物の 遮光器土偶に会うのは 次回ということにしましょう。」と私。 「 ツボさん、ちょっと言い難かったんですけど・・・」と キャピタルビレッジの塩川さん。 「何?」 「 亀ケ岡遺跡で発掘された遮光器土偶なんですけど、 今は東京の国立博物館にあるみたいですよ。」 マジすか! もう土器、土器しちゃう。 亀ケ岡遺跡は発掘後は野原になっているみたいで
巨大な土偶レプリカ以外見るものもない。 この後、資料館に行けば本物に会えるだろうと読んでいたが 日吉神社で結構時間を使ったので、もう斜陽館に向かっなければならない時間が迫っていた。 関節のない短い手足。
大きいのだが なぜかつぶっているように見える目。 乳房があるようにも見える服の模様。 実はこれが何のために造られたのか 明確な答えはいまだに出ていない。 目のデザインが遮光器・・・ サングラスをつけているように見えるので この土偶は遮光器土偶と呼ばれているのだ。 自分の病気や怪我の身代わりとして体の一部をあえて破損し 神に捧げたという説や、 古代日本に飛来したUFOから降り立つ 宇宙服を着た異星人だという説もある。 なかなかにラブリーな造形だ。 目元がつぼちゃんに似ている・・・と言うなかれ。 案内板には古来 近隣の人々は聖地として畏敬の念を抱いている場所であると書かれていた。
神仏集合の神社としてここには昔「お寺」もあったそうだ。 修験者達の修行の場でもあったのだろう。 宮司さんもお坊さんも常駐してはいないこの神社。 地元の氏子さんたちが懸命に管理しているのだろう。 時代に流されつつある感のあるこの古い社は綺麗に整備されては いなかったが、凛とした波動をいまだに発しているかのようだった。 珍しい鳥居が目印の日吉神社がなぜこうも見つからないのか?
ついに、 キャピタルビレッジの塩川さんが地元の方に 尋ねてみることにした。 いい感じに日焼けした年配のおじさんは丁寧に道を教えてくれた。 「 どうもありがとうございます。」と 車に戻りかけた僕たちに おじさんはこんなこと言った。 「 いやぁ、俺も地元の人間だけどあそこは夏場でも・・寒気する」 と 笑った。 マジですか? これからそこに行こうとしている人間にそのコメント要りますか? 私個人的にはテンションあがりましたけど・・・。 おじさんどうもありがとう、なんだか盛り上がってきました。 津軽の古代の王族は安倍一族。
安倍一族から青森の安東氏、そして秋田の秋田氏へと 受け継がれて行く譜系が東北のルーツだ。 中世から津軽を統治していた安東氏の神社が日吉神社なのだ。 ヒヨシ神社ではないこの字でヒエ神社と読む。 iPhoneのアプリで検索してみると 今、僕らがいる 「しじみラーメン」から10分程度北に行ったところにあることが分かった。 私たち明るい気持ちで 二台の車に分乗して日吉神社に向かった。 コンサート当日はみんなで「しじみラーメン」を・・
斜陽館のある金木から少し北に行った十三湖は しじみで有名なんだそうです。 で、みんなで「しじみラーメン」をたべることになった。 今日のコンサートは夜の7時からということで 時間がたっぷりある。 僕は未だに一度も行ったことがない下北半島の 恐山に行きたいと思っていたのだが、 なんと車で片道3時間半も かかるというので断念。 北の岬「竜飛崎」に行って海鮮丼を食べようという案もあったが、 それでも片道1時間半なのだ。 竜飛崎もいいが僕には 恐山の他にも行きたいところが いくつかあるのだった。 近畿日本ツーリスト様が用意してくれた宿の私の部屋は
やたらに広かった・・・池まである。 素晴らしいお部屋なのである。 ちろちろと竹の筒から池に流れる水の音は風流なのだが、 深夜になると四谷怪談的な雰囲気を醸し出して眠れない。 何度も起きた。 しかし朝の爽やかさは格別でありました。 さあ、40周年からの第一歩は太宰治の生家、斜陽館だ。 40年のお祝いに駆けつけてくれたみなさん本当にありがとう。 僕の中で、まだまだ思い出に変わってはいませんが 中野サンプラザホールの40周年記念コンサートは、 僕の歩いてきた道端に咲く花の中でも ひときは大きなそして美しい花となるでしょう。 まさか4時間半以上やるとは思わなかったでしょ? 事前に知っていたら来なかったかもね・・・はは。 あの日、一番元気だったのはおそらく私だった。 ホント、 我が儘やらせてもらいました。 今回関わってくださった、スタッフ様、メンバー様、ゲスト様 そして何より、 サンプラザで一緒に祝ってくれたみなさん。 僕の40年をずっと応援してくれていた 全国の皆さん。 ありがとう! あぁ、 あの日「サンプラザでやりたい!!」と叫んでよかった。 後でゆっくり つぼっちで報告しますね。 これから青森の「大宰治さんち」に行ってきます。 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |