ある日のこと、いつものようにたまたま本屋さんを
ぶらぶらしていたら「超越瞑想」という本が目に止まった。
瞑想は手に負えないと思っていたぼくだが、
本の表紙に写っているインド人の顔に
見覚えがあったので手に取ってみた。
年齢はいっているようだがその笑顔のやさしい
インド人の名前は「マハリシマヘーシ」
そうだ!ビートルズと一緒に写っていたあの瞑想の先生だ。」
そうか、あの先生の教えは「超越瞑想」って言うのか。
早速買い求める。
マハリシマヘーシが教えるTM(Transcendental Meditation)
という瞑想法を書いた本で、日本語訳では超越瞑想と言う。
結構分厚いズシリとした本だった。持ち帰り読み進める。
どれどれ・・・
生徒の「僕は100%瞑想を信じていませんが、そんな僕でも
効果はありますか?」という質問に「100%効果はあります。
ニュートンを信じなくてもリンゴが落ちるように。」
まあ、なんて素敵な切り返しでしょう。
「TMは哲学でも、理論でも宗教でもありません。
そして信じる必要もありません。」
いいねいいね・・・。
例えば、湖を想像します。
表面は風に吹かれてさざ波が立っています。
それが日常の人の心の有り様です。雑念の多い状態です。
本来の心はいつも湖の底のように穏やかで静かなのです。
ゆっくりと心を湖の底まで落としてゆき、
その静寂の中に身をおくのです。
そして自然界とより親密になること。
と、まぁ、ざっくりと言うとTMの「瞑想」とはそんなことです。
奇跡や魔法ではありません。
穏やかで静かな心の奥に行くための「アイテム」が
「マントラ」と言う。「マントラ」とは昔からある言葉で
日本語では「真言(シンゴン)」と言って、
パワーを秘めている「呪文」のようなものだ。
仏教の仏様には、それぞれにマントラが必ずある。
たとえば不動明王のマントラは
「オンバサラ サトバアク ノウマクサマンダ バーサラダンカン」
なんていうんだ。これを無心に唱えるとお不動様パワーが
自分の内に宿ると言う。お坊さんが滝に打たれながら
何やら叫んでいるのはだいたいこのマントラだ。
地方のホテルで深夜ざわざわする時、
私も「おんばさら~~」ってやる。幽霊嫌いだし・・はは。。
「ナンマンダァ、ナンマンダァ」なんかも「マントラ」だよね。
「言葉」そのものにパワーがあると空海も言ってる。
もしかすると「あの野郎」「マジ、頭来る」
「あぁ、つまんない」なんて言うのは昏くて重たい
負の「マントラ」になるのかもね。
マイナスエネルギーを呼び寄せる「言霊」だ。
幸福が嫌いな人はやってみるといい。
・・・時々私もやっちゃうけどね、煩悩、煩悩。
で、本を読みながらTMを実践して見たんだけれど、
「割といい感じ」なんだよこれが。だけどね。
その瞑想の際に唱える「マントラ」って言うのは、
指導に当たった先生がその人に合う、その人のためだけの
「マントラ」を一つだけ選んで伝授してくれるというのだ。
つまり、TMセンターに入会しなければ自分専用の
「マントラ」は教えてもらえないというシステムなのだ。
勝手に「おんばさら~」とか「いお~む」とか
「あ~しあわせ~」とか「もともとスター~」とか
唱えていたのだが、やっぱり「My マントラ」が欲しいじゃない。
そこでどうしたか?
そう、遂にわたし入会いたしました。
エレベーターのない渋谷の小さなビルの3階にある日本支部。
ぼくは生まれて初めて、そういったところに参加しました。
7~8人くらいでしょうか。
おじさん、おばさん、大学生、いろんな方がいらしていて、
私は自分で望んできた割には、なんだかちょっと違和感。
黒のスーツを着た、千原ジュニアを優しくしたような男性が
立っていた。この人が先生なのだとすぐに理解した。
ここにきた動機はなんですか?
他のミーティングに行ったことありますか?
私は、何もかもが初めてだということを伝え、
その日から、四日間の超越瞑想の実習が始まりました。
ぼくは質問したがりなので受講中にいろいろ聞きました。
「目を閉じている時、視線はどこを見ていればよいか?」
「調子に乗ってきたら、規定の20分を超えて続けてもいい?」
「雑念が沸いたら無視するの?それともただ眺めているの?」
運転免許証の書き換えの時に受講する教室を少し
小さくしたような部屋で、割と静かな生徒さんが多い中、
思いついたことをつぎつぎに質問する私に、
千原ジュニア先生は「あなたはかなり経験があるんですね。」
と、ちょっと嬉しそうな顔で、僕の質問に丁寧に答えてくれた。
「はい、さざ波の上でずっ〜とボートに乗っていました。」
とは言えなかった。