皆さんは「瞑想」をしたことがありますか?
私はいつも「迷走」してるってね。「ちゃうわ!」
僕が高校か大学生の頃だったかな。
ビートルズがインド旅行をした際に高名な僧侶と知り合い
そのひとの説法に深く感銘を受けたメンバーはその方を
アメリカに連れて来たことがありました。
中でもジョンとジョージはそのグル(師)に深く傾倒して
いったということでした。
アメリカに渡ったグルは、本来門外不出であったはずの
古代インドの教えを、アメリカの若者達に広く伝え始めた。
自分自身を深く見つめるためのその教えは「Love&peace」を
標榜する当時の若者達に大きな支持を得て行きました。
そう言った中にメディテーション(瞑想)という言葉も
出てきて、僕は瞑想というものは、
お寺のお坊さんだけがやるもんだと決めつけていましたが、
その時から少し身近なものに感じてゆきました。
普段忘れがちだけれど、お釈迦様も元々はインド人だよね。
彼が菩提樹の木の下で一瞬にして「悟り」を開いたのは
まさに古代インドのバラモン教の修行法の一つである
「瞑想」をしている時だったんだ。
私達のなまくら頭には、かなり良さそうだけど
やっぱりなんか遠いよね「瞑想」って。
それから数年が経ち、東京に出てきてしばらくたったある日。
何気なく本屋さんで「瞑想」の本を手にした。
それは仏教系の、しかも案外ファンの空海の真言密教の
瞑想法の一つで「阿字観」と言うものだった。
(北大路欣也主演の映画「空海」・・・見たもねぇ。)
空海が遣唐使として中国に渡った際に、運命的な出会いをした
密教僧の恵果阿闍梨から伝授された密教修法のひとつだろう。
空海も「十分に検討したい」と言ったらしい。(うまい!)
どれどれと買い求め、早速読み進める。
満月の中に蓮を置き、その上にサンスクリット語の「阿」を
乗せて、それをまるごと頭の中でリアルにイメージするのだ。
簡単に言うとそう書いてある。
では「阿」ってなんですのん?「ウン、いい質問ですね。」
「阿」とは森羅万象すべてのものが増えもせず、
欠けもせず、すでにそこにある。ということなのだ。
「ね、簡単でしょ。」たぶんそれは「宇宙」のことで、
「自分と宇宙」が重なる、一体化する為の修行なんろうね。
「ね、訳わかんないでしょ。」
私も私なりに試してみた。
「阿」と言う文字を壁に貼って足がしびれるまで眺めてみたり、
歯を食いしばって頭の中に「阿」と「蓮」と「満月」を描いてみるのだが、「阿」が出てきたら、「蓮」がおぼろになるので、
慌てて「月」をイメージしてると「阿と蓮」が行方不明になる。
何度も何度も繰り返しそれを続けた。そして悟った。
「瞑想ってイライラする。」
結局、「阿字観」で私が得た習慣は、
満月の夜にベランダに出て、マイクオールドフィールドの
三部作やジョンレノンの「Mind games」を聴きながら
夜風を感じつつ、実際の満月を眺める
「月光浴」という習慣であった。ありがとう。
その後も安直な私は、より簡単でお手軽を求めて
「瞑想」を「迷走」するのだった。
この話、面白いと思ったあなた、第2話を待て。
PS
言わずもがなではありますがプロの宗教者、そして
帰依している真摯な方々のそれと、私のわくわく目線の
「瞑想」に対する向き合いかたとでは全然次元が違いますから、
誤解のありませんように。