熊本の駅前を軽く散策しました。 九州ツアーは車移動が多いため あまり駅に立ち寄る機会は多くありません。 駅前広場にラーメンのキッチンカーが あったのですが、 僕には驚きでした。 あの有名な桂花ラーメンと味千ラーメンが 一緒の車で販売している。 すばらしい。 北海道に例えるなら「純連」と「すみれ」が コラボしてるみたいなもんだ。(違うか) ふきのとう時代に初めて食べた熊本のラーメンが 桂花ラーメンで、すっかりはまっった時期があって、 東京に戻っても新宿の桂花によく通ったものだった。 当時、車で移動していた九州ツアー。 郊外には あちらこちらに味千ラーメンがあり、 車を止めてツアーメンバーと一緒に 味千ラーメンを食べた思い出もある。 今では味千ラーメンは世界中に広がっていて 世界で1番多いラーメンチェーン店だそうだ。 細坪の「歌の旅50年」は、「全国ラーメン行脚50年」 でもあったのだ。 びっくりした。 好きな大砲ラーメンなのですが、結構 こってりしていて 青年の頃と違って最近は 少しだけ勇気がいるのですが、 何故か今回は とても食べやすくておいしかった。 コンサートの前だったので「ニンニクマシマシ」 創世にあつまった久留米の皆さん少し臭いましたか? 山内さんと妹尾さんの間に挟まれている 国武さんは今度大砲ラーメンの新しいお店を 設計するのだそうです。 コンサートを企画してくれる人かと思ったら 実は一級建築士なんですねぇ。 でも、今日はコンサートのお手伝いなので 一休建築士ということで・・・。 始まりは昭和12年(1937)、屋台の「南京千両」。 ちゃんぽんと当時横浜で流行していた支那そばを ヒントに考案したといわれる。 その後、屋台の「三九」で間違いで強火にして 偶然白濁とんこつスープが誕生。 そんな久留米ラーメンで今人気なのが「大砲らーめん」 こんな若い夫婦が始めたラーメン屋さんなんだね。 久留米のコンサートの前日、 縄文の時代から 脈々と続いていたと思われる聖地を訪ねたので その興奮をステージでぶちまけたいところ でしたがさすがに控えめにしておきました。 ここ久留米も魏志倭人伝に出てくる 邪馬台国があった時代の50余国の中の 大きな国のひとつだと私は思っている。 以前音響のターザンに連れていっていただいた 「髙良大社」はその秘密を孕んだ空気感があった。 北部九州と大和朝廷が 激突した 最後の砦なんだ・・・と、思う。 ツボッチ コンサート報告が一段落したら 聖地巡礼報告を書いてもいい? 有名なハリウッド女優から端を走っているんだ。 同じ歌でも会場が変わると表情が変わる。 ホールにはホールの安定感があり ライブハウスには至近距離の緊張感と 親近感があり、 多目的なイベントホールには 特別な日のワクワク感が 潜んでいる気がする。 そこには音響や照明などの力強いスタッフが いてくれればこそで、プロの音職人が 状況の変化に対応して 僕がストレスなく 自分らしくに歌える状況を作ってくれるからこそ ストレスなく歌の表情も心のままに変わっていく。 骨太の ボーカリストではないだけに 環境には意外と繊細なのだ。こう見えて。 どう見えてるか知らんけど。 大分を後にして僕たちは翌日、阿蘇周辺を 探検しながら夜に久留米に到着しました。 山内さんは博多ですが、音響のターザンと コンサート久留米担当?の国武さんは久留米在住だ。 みんな優しい人たちなのだが一見強面だよね。 テーブルに並ぶ料理はすべて野菜。 このギャップがいいね。 コンサートスタッフ&ファミリーで「はいチーズ。」 この店には猫が住んでいて 妹尾さんが奇跡の1枚を・・・。 実は急遽、妹尾武さんの ブリックブロック 初登場が決定したのだ。 妹尾さんが毎年 行っている「港めぐりツアー」の 一環で大分ブリックブロックが今年組まれた。 初の大分ソロライブということもあり あっという間に席が埋まると言うわけには いかないかもしれません。 皆さん、応援よろしくお願いします。 ここはつぼちゃんファンの腕の見せ所、 右手と左手に、友達の手を握りしめて 参加しましょう。それは冗談にしても 間違いなく素敵な時間が待っていますよ。 ぜひ参加して妹尾さんのミストシャワー的 音世界に浸ってくださいませ。 僕の大分ソロでは初登場の妹尾さんでしたが 華麗なピアノと低音ボイスで早々に 大分の皆さんは魅了されていたようです。 僕のソロコンとドルチェ以外ではほとんど 歌うことのないと言う妹尾武さん。 もったいないねぇ。 この日もいい感じで歌っていただきました。 ステージのすぐそばから椅子が並び 至近距離に座る皆さんとの親近感と照れ臭さが ないまぜになって、いつもとはまた違った 交感神経の昂りを感じながらのライブです。 名物の大階段には 1段1段に3人掛けのベンチが 取り付けられ前から横から、2階から笑顔と 熱い視線が降り注ぐ。 ブリックブロックならではの空間だ。 去年の11月に大分でコンサートを やったばかりなのですが ブリックブロックの この日のチケットは即完だったそうです。 もちろんブリックブロックの応援があってこそ ですけれども僕がここで唄っていた時代から 応援してくれていた皆さんが、きっと懐かしがって 集まってくれたみたいですね。 ありがとう。 唄う前からいい雰囲気が出来上がってます。 普通は客席の皆さんの間を通ってステージに 向かうのが普通なのですが、洒落でステージ後の 扉を開けて登場することにしました。 その場面を 3曲目から参加する妹尾さんが 盗撮?しておりました。 久しぶりのブリックブロック開演です。
当時の店長だった大津さんと再開。 「35周年の去年は縁のあるアーティストの 皆さんに来てもらったのよ。 ツボちゃんにも来て欲しくて声をかけさせて もらったよ。」 「もう店長じゃないんだ。辞めてもよかった んだが、みんなが居てくれっていうから・・・」 「じゃ、今はどんな形でBlickに?」 「 ケンタッキーのカーネルおじさん人形みたいなものかね」 は、は、は。 ブリックブロックを卒業して初めて大分での ホールコンサートがあった日、その会場の 楽屋口の前に大津さんが立っていた。 持参してきた差し入れを渡してくれて, 「 じゃぁツボちゃんがんばってね」と それだけ言って帰っていった。 そんなことを思い出しました。 九州に行って参りました。 コンサートはもちろん、移動日も 全て充実の旅でした。 まずは大分空港に到着したのですが、 まるで手荷物を先導するように コンベアから最初に大きなお寿司が出てきます。 毎回そうなんです。 なんで?君は「猿田彦」か!! 大分空港に到着! 50周年記念パーカーが3枚残っていました。 「残ったのが3枚って すばらしいよね。 皆さんご祝儀がわりに買ってくれたのかな」 なんて話を マネージャーとしていたら、 下山さんがやって来て「 新しいパーカーないの?俺買うよ」 「3枚あるけどもし残るようだったら差し上げますよ」と マネージャー。「いやいや、今買うよ」と下山さん。 結局ロビーでは1枚しか販売できず それも売れて、 50周年グッズのパーカーは完売!となりました。 Tシャツ工場の莊ちゃんも きっと喜んでくれるでしょう。 僕自身も理由はよくわからないのですが 今日の加須コンサートの雰囲気がどこか東京の コンサートに似ていたのでした。 「久しぶりにわが街にようこそ」という 迎える感じではなく、長年の付き合い故の 親近感のようなものが 客席を充たしていました。 自然体で歌ったり話をしたりできるHOMEの ような気分を味わいながらの コンサートでした。 東京方面から来てくれた方が多かったのでしょうか? 心強い熱心なファンの方が多かったのでしょうか? とにかく肩に力の入らないとても楽しい コンサートになりました。 家族のみなさん?加須のみなさん。 ありがとうございました。 銀座ヤマハホールでのドルチェで春の歌から スタートしたのですが、それがなかなか いい感じだったので久保田さんにも それ風なピアノ演奏お願いした。 ギターリストさんに対してなんとも強引な 注文ですよねぇ。でも 久保田さんはそれを ちゃんとカタチにしてくれます。素晴らしい! 中盤からは50周年らしく今日までのいろいろな 思い出を重ねながら歌を綴っていきました。 去年全国を50周年記念ツアーで 回ったんだけれど、本数を詰め込みすぎて 自分の精神が薄まったり慣れが出てきても いけないので数本今年にずれ込んでしまった。 そのうちのひとつが加須で、このあとの 宇都宮と桐生で50周年記念ツアー全てが終了。 50周年ツアーは桐生が終わればちょうど50カ所 になり「50-50」ということで、大谷さんと並ぶと コンサートでギャグで言っております。 埼玉県加須市で5、6年振りのコンサート。 コロナに振り回された時期も やっと過ぎましたね。 仕切ってくださるのは群馬県の桐生音協。 下山さんと小野里さんのお二人です。 この方たちがいなければ加須でコンサートを やっていたかどうか・・・・これもご縁なんですね。 下山さんずいぶん懐かしいパーカーを 着ていただいてありがとうございます。 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |