同好会代表として初めてのホールで唄ったのはここだ。
このホールが出来た年のことだ。
毎年のふきのとうクリスマスコンサートもここだった。
解散コンサートツアーのラストもここだ。
今や日本の「ニトリ様」をどうのと言うことではなく、
ぼくにとってこの場所は「札幌厚生年金会館」という
名前こそがいまだにストーンと心に落ち着く。
(正しくは「北海道厚生年金会館」だそうだが、私はずっと
「札幌厚生年金会館」略して「年金」だと思い込んでいた)
そんなホールのラストコンサートに僕を
呼んでいただいたこと、感謝しかない。
地震の傷跡も癒えないこの街で心から唄いたい。