その昔は神様と一緒に仏様も同じ社の中で祀っていたのだ。それを神仏集合といった。(神道と仏教のツートップ制?)
僕らが子供の頃、
それぞれの家庭に神棚と仏壇があったのはその名残だ。
私の家には今でも両方ある。
クリスマスにケーキ(キリスト教)を食べて、
大晦日に除夜の鐘(仏教)を突いて、
元旦に柏手(神道)を打つのは
唯一神ではなく八百万の神。
すべての価値観を受け入れると言う
古来の日本人の宗教観から来てるかもしれないね。
ところが明治元年になった時に神様と仏様を引き裂くと言う
国の政策「神仏分離礼」が発動された。
それによってかわいそうにも仏像や経典などが焼かれてしまった。
それを廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という。
現在、狭野神社の境内にある仁王像は、
石像なので焼くことが出来ず近くの溝に打ち捨てられた。
しかし、不作の年が続き仁王様が怒ってのではないかということで
村人たちは仁王像引き上げ安置し祀るようになったものだ。
昨年狭野神社の宮司さんにお会いしてお話を伺ったところ、
当時の宮司さんがご本尊だけは自宅に持ち帰り
今でもお守りしていると言う。
「今度来た時にお見せしましょうか。」という約束を
狭野神社の宮司さんは覚えていてくれた。
そうなのだ。
大切に守られている狭野神社(神徳院)のご本尊を
今夜見せていただけるのだ!