
今日の東京は感染者数が50人近くに
増えて、コロナが完全に収束した
訳じゃないけどみんなが少しづつ
「生きる」為に動き出したようだ。
今日まで「自粛」してきた「我ら」に
よくやりましたの拍手を送って、
さぁ、次に進もう。
とは言え、この音楽業界はまだまだ先が見えてこないのさ。
「終わった、終わった。」と簡単に「日常」に戻るひと、
「いやいやここまで耐えたのだからもう少し慎重に」と
考えるひと。「周りの動きを注視しながら」と、この先、
様々な選択肢に別れて行くのだろう。
それもある意味、自由と平等。
さて、一番良いカタチでの細坪基佳のコンサート再開に
向けて、事務所と各地のイベンターさんの協議?も
良い感じで進んでいるようですよ。腕がなりますです。
「誰かの為に」ということが第一の行動原理で暮らすことは、
さすがの仏のツボちゃん?も人生初めての経験ではなかったか。
そんな中、アメリカでは警察官の不祥事が相次いでますよね。
警察官の過剰な暴力が、個人の感情による判断だったにせよ、
根深い「人種差別」が横たわっていることに異論はないだろう。
日本にも貧富、学歴、容姿、地域、民族、によるいじめ、
差別は今でもあると想像するがアメリカのようなあからさまで、
何百年も解決されないまま放置され続けた現状には、
さすがに胸が痛くなる。動画はリアル過ぎて怖い。
差別され続けるアメリカの黒人達を思えば、
「ささやかな幸せ」を唄う僕はもうすでに
「大きな幸せ」を手にしてる気さえする。
こんな気持ちになった映画を確か以前に見た事があるなぁ、
と思い出し、棚から引っ張り出して深夜の映画鑑賞。
それは1994年公開の「評決のとき」
ジョントラボルタとの共演でタランティーノ監督の
「パルプフィクション」でかっこいいチンピラをこなしていた
サミュエル・L・ジャジュソン。マシューマコノヒーは
大好きな映画「インターステラー」の主役だ。
このふたりが黒人の殺人犯と正義感溢れる白人弁護士の、
人種差別がテーマになっている法廷ドラマだ。
初めて見た時には胸のすくエンディングだったが、
今回あらためて観た時は、この終わりは映画だからこそだなぁ。
と言う気がした。いや、それでいいんだけど・・・。
それと、マシュー弁護士の最終弁論はやっぱりグラッとくる。
というか、忘れていたのであらためて感動した。
あと、レザボアドックスのケビン・スペイシーとか、
24時のサザーランド父子、サンドラ・ブロックと
アシュレイ・ジャッドなどなど主役級がみんな若い。
正直、アメリカの人種差別問題は僕には少し遠い。
安易かも知れないが映画で学ぶのも不謹慎ではなく、
「無知と無関心」よりはまだ良いのかも知れない。
あと、思いつくのはこの2作品。
「ゲットアウト」は社会派ではなくスリラー。オチがすんごい。
「それでも夜は明ける」は実話を基にしているのだが、
わたしはこんなに強くなれるだろうか?と考えさせられる。
「二グロの歴史はアメリカの歴史でもある決して美談ではない」
「評決のとき」のサミュエル・L・ジャジュソンが
ナレーションをしているドキュメンタリー
「私はあなたの二グロではない」の中の言葉・・・。
PS
掘り出し映像があるんだけど、画像が粗過ぎなので、
置いておいたのですが、カラオケみたいな歌詞を付けると
まだなんとかいけそうなので、いま作業しております。
1993年「ON YOUR SIDE」のレコーディングも終わり、
ソロになって初めてのTour開始。名古屋ダイヤモンドホール版。
27年前だよね。「行ったがや〜!」って人いる?