初めて所属した事務所は東京の六本木飯倉片町にあった、
「才谷音楽出版」と言う名前だった。その会社は社員のほとんどが福岡出身者だ。それもそのはずで、この事務所は「海援隊」とその仲間が立ち上げた会社だったのだ。
事務所に行くと甲高い博多弁が飛び交い、そこはオシャレな六本木の片隅というより博多親不孝通りの一角?と勘違いするほど。
そんな会社の人脈でおのずと僕も九州へ出かける事が増え、博多弁に違和感も消え友人も増えて行ったのだった。
そんな経緯で、今でも年に10回以上の九州のコンサートは継続している。有り難いことです。
そんな中、毎回満員御礼で迎えてくれるのがここ福岡だ。