いくつかの鳥居をくぐって、
私たちは高良大社の奥宮に到着。
若い人も高齢の方も、修験道の
出で立ちの男性もこの奥宮で
当たり前のように手を合わせて
ゆっくりと山を降りてゆく。
物見遊山ではなくごく日常的な
ことのように。
ここの神様は誰かって?
なんとも一言では言えない感じだ。
つまり、その時代、時代によって
ここの神様は名前が変わるのだ。
今は毘沙門天という仏教の仏様に
なっているが、「タマタレ」が
いた時代もあったろうし、また別の
神々が祀られていた時代もあった
のだろう。
本質は古来から高良山自体が信仰の
対象となっていたのかもしれない。
太古の時代は不可侵な領域だった。
そんな気がする。