大学1年生のとき、同じ下宿人の松橋が
「美味いラーメン屋があるんだけど行ってみないか」
と誘われて学校帰りに行った店は、東映映画館隣の
ご夫婦で切り盛りしているカウンターだけの
「糸末」という店だった。
札幌においしいラーメン屋さんは山ほどあるけれど
こんな美味い味噌らーめんある?と言うほど感動した。
170円だった。 以来、常連様の私なのだった。
それから時が過ぎ、 「札幌ラーメンマップ」と言う
単行本の巻頭ページを任される機会を得た。
お勧めのお店を紹介していただきたいと言うことだった。
取材のため雑誌社の方と「糸末」に行った。
かれこれ30年 通っているがご主人と話をしたのは
これが初めてだった。
「 あぁ、あなたね。昔からウチに来てましたよね
なんでも歌を唄ってるそうですねぇ。」
「あなたは何時も 味噌や醤油を 注文するけど
塩ラーメンは食べたことないでしょ。
じつはウチはね塩ラーメン専用のスープを
作ってるんですよ、ちょっと中に入ってきてください。」
と 厨房の中に案内されていろいろなことを教えていただいた。
それからしばらくして、雑誌社の方から糸末のご主人が
亡くなったことを聞かされた。せっかく仲良くさせて
いただいたのに残念だな。あの 僕の青春の味の
味噌ラーメンももう食べられなくなってしまった。
そんなことがあって 1年も過ぎた頃だろうか。
放送局のディレクターに「 狸小路の中に糸末の暖簾を
店内に飾っているラーメン屋があるんですよ。
店の名前は糸末ではなくて喜來登と言うんですがね。」
と 教えられた。
初めて食べた喜來登の ラーメンはネギが山のように
積んであったものの僕に糸末を思い出させてくれた。
何度か通ううちにお店の女将さんもご主人も
私のことを知ってくれたのか、いつしか笑顔で
迎えてくれるようになった。
ラーメンを食べて店を出るときには
マネージャーにアメちゃんを くれるようになった。
「糸末」のご夫婦と、「喜來登」のご夫婦が、どういう
関係なのか 聞いた事はありませんが
ご夫婦で営業している喜來登も今はあどけない
笑顔の息子さんが厨房で活躍 するようになった。
札幌のコンサートが4年ぶりだと言う事は
喜來登の ラーメンも僕にとっては4年ぶりなのだ。
僕にとっては170円時代からの 青春の味なのだ。
女将さん、コンサートには素敵な お花を
届けてくださりありがとうございました。
五十嵐浩晃さんが
「 つぼさん喜來登から大きな花が来てますよ。
ラーメン好きもここまでくると たいしたものですね。」
と言った。