浜松のエンボスがザ・タイガースのコンサートやるというのでタイガースの話から始まって当時ブームだったグループサウンズの話でひとしきり盛り上がった。
タイガースが私を音楽の世界に呼び込んだと告白する京都の今西さんは以前ジュリーのソロコンサートを手がけていたという。
自分の音楽のルーツがビートルズだとかBOB DYLANだとか言うミュージシャンは多いが、案外GSにもはまっていた同年代のミュージシャンも少なくないと僕は思っているのだ。
タイガースを初めて見たのは加山雄三の若大将
シリーズでだった。「海の若大将」 だったかな、
海辺の特設ステージでシーサイドバンドを
唄っていた。
なんといってもジュリーはかっこよかったよね。
中学生時代に仲間たちと演奏していた曲の中には
「僕のマリー」などのタイガースの
レパートリーもあったっけ。
そんなタイガースの話をしていたら、
急に懐かしさが蘇り、小山さんにお願いして
浜松のタイガースのコンサートを
見せてもらうことになった。
同席していたNSPの中村君は知り合いの
つてで1月の日本武道館の ジュリーの公演に
行くということだった。
なんだかみんなGSファンなんだね。
後日、いろいろ スケジュールの調整をしてみたが
浜松に行くのは 難しかった。
中村君に武道館の僕のチケットも手に入れて
もらうことにしたのだが、もうその頃はすでに
チケットはソールドアウトと発表されていたので
手に入るかどうかは未知数だった。
しかし不思議なところに縁があるもので1月の
ネイチャーのリハーサルの休憩中、ドラムとして
参加してくれた大間くんが「タイガースの
チケットなら、私が手に入りますよと。」
ニヤリと笑ったのだ。
なんでもオフコース時代の仲間の清水さんが、
タイガースのメンバー森本太郎さんとバンドを
組んでいるということなのだ。
「聞いてみようか?」と自信たっぷりな大間さん。
中村君に確認したところ 僕の分のチケットはまだ
手に入っていないそうなのでここは大間に任せることにした。
「俺の分も頼むよ。」と中村くん。その後
それなら俺もと平賀も参戦したのだった。
(NSPは昔、ファンの集いでタイガースを演奏した
こともあるらしいのだ)かくして
「ザ・タイガース武道館公演」はスリーハンサムズ
揃い踏み観戦となった。
当日の武道館は、僕たちよりも少しだけ年上の
少年少女で溢れていた・・・と思った。
「あら、今年もネイチャー行きましたよ。」
「ツボさんじゃないですか。」と
何人かに声をかけられ、GSファンというのは、
じつは僕と同世代の「少年少女達」でもあるのだと
改めて認識したのだった。
フォークソング好きの人が別のジャンルの音楽も
愛好しているとしても何の不思議もないよね。
唄う曲やステージの構成もある程度はイベンターや
関係者から聞いていたのだが、往年のタイガースの
メンバーがステージ中央に向かって歩いてくるのを
見ると、やはり感慨深いものがありました。
僕のマリー・・青い鳥・・・シーサイドバウンド。
くりだされる楽曲はどれも、今も生存していると
思われる僕の中の少年の感性にまっすぐに
落ちて来るのだった。
アリーナ席に陣取ったハラカラたちはなんと
1曲目からスタンディング・・・明日はみんな
筋肉痛だろうなぁ、などとぼんやり思いながら
1階席の椅子に腰かけながら細坪少年と僕は
二人でタイガースの歌を聴き、唄っていた。
中村も平賀もそんな顔していた。
僕が中学生だった昭和の時代の音楽は外国の歌も
日本の歌も、分け隔てることなく混沌としながら
町中に溢れていた。歌謡曲とかロックとか
フォーク、ポップスなどの区別も無かった。
ビートルズもベンチャーズも寺内たけしも
加山雄三もローリングストーンズもみんな
同じかっこいい音楽だった。
けれどあの頃から画一化されていた国民的大衆音楽
から子供達が自ら音楽を捜し始める時代に移行し、
次第に若者達は昔ながらの大人の音楽を
下に見るような風潮が生まれ、 それが
かっこいいと思う時代だった。
皮肉な話だが日本に「大人の音楽」が成熟しない
のは、この時代が始まりだとも言えなくもない。
子供達の音楽熱に便乗して日本の商業音楽関係者も
子供達のお小遣いをあてにするような音楽を前面に
打ち出した企業としての戦略を立てていたのかもしれない。
最後まで頑なだったあの紅白歌合戦でさえいまや、
若い、いや、若過ぎるアイドルたちが元気に
ステージを走り回っている。
毎年見ている方ではないのですが。
「学生の頃は買いたいレコードがいっぱいあった
けど買うお金がなかった。でも今はCDを買う
お金はあるんですが、僕の聞きたい音楽が
CDショップのどの棚にあるのかがわからないんです」
と、笑った新聞社の記者さんの言葉を思い出します。
明日の筋肉痛をかえりみずアリーナ席で踊り続ける
ハラカラたちの向こうにタイガースが見えた。
僕は 少年時代にフォークソングというものに
出会えて幸せだったとつくづく感じているのだが、
実は昭和という時代に生まれ、 高度成長期の中で
少年時代を過ごしたことが一番の幸せだったのかもしれない。
「教室から誰かの演奏が聞こえてくるので
ちょっと覗いてみたら、デビュー前のタイガースの
メンバーが練習していたんだよ。」と、
杉田二郎さんから立命館時代のエピソードを
聞かせてもらったことがある。もし、
北山修さんや加藤和彦さんよりも先に
森本太郎さんや岸部一徳さんらと出会っていたら、
二郎さんがタイガースのメンバーになっていたかも
しれないよね。しゅっとした ヒップアップの
あのスタイルだもの。
目をこすってよく見ると僕や中村や平賀が
武道館のステージに立っているのが見えた。
得意の妄想ですけどね。
もちろん僕は、自分とジュリーをダブらせていた。
・・・・・・・お腹のあたりをですけどね。