僕が1974年に東京に出てきて、
その2年後ぐらいに アマチュアながら
札幌では名を馳せたフォークロックバンド
「ジパング」のリーダーだった牧野君が
長澤ヒロさん率いるヒーローズに
参加することになり上京してきた。
その頃、全国ツアーで 東京にあまり
いなかった細坪君はライブや打ち上げの後
ロッカーなのに?いつも最終電車で
埼玉に 帰らなければいけない牧野君に
「この部屋いつでも使っていいよ」と
合鍵を渡したのが 運の尽き。
長いツアーを終えて渋谷のマンションに戻り
ドアを開けて 中に入るとロングヘアの
見知らぬ若者たちがまるで不審者のように
私を 睨み付けるのだった。
私の部屋の合鍵の合鍵が牧野くん周りで
出回っていたのだった。
海援隊の中牟田さんから譲ってもらった
テレキャスターはあの頃、
牧野に貸したっきりいまだに帰ってこない。
近藤マッチの全国ツアーで牧野はそれを
弾いていたと言っていた。
嵐のファイナルコンサートを最後に
会社を離れると言う。
それからまた2年後ぐらいに、今度は
札幌でも有名なプログレバンド
「クロス・トゥ・ジ・エッジ」の
ギタリスト佐藤ミツルが 森園さんが
抜けた後の四人囃子に参加するために上京。
俺たちは牧野と俺が同い年でミツルが
ひとつ年下の同世代「すすきの音楽仲間」。
「 今度ミツルが東京に来るからさぁ
二人で歓迎会しない?」 と牧野が言うので
原宿のクロコダイルに三人は集まった。
その日のことはミツルも俺も覚えていたが
牧野はすっかり忘れていたようだ。
ゲーム好きのミツルは同じくゲーム好きの
僕の弟と馬が合うようで、僕が ツアーで
いない時でも我が家で夜な夜なゲームをしていた。
いずれにしても原宿クロコダイルで
三人で1本のウヰスキーボトルを入れてから
50年という 歳月が流れたわけだ。
何十年かぶりの三人での再会となった。
下北沢の和食屋さんで食事をした後、
「 もう一軒行こうか、どこに行く?」
「 カラオケしかないしょ。」
ミツルも牧野もすごい乗り気だもんね。
それにしてもカラオケ屋さんの壁紙の模様が
涙が出るくらい昭和だった。
一時期(40年ほど前)ミツルも牧野も俺も
みんな下北沢に住んでいた。
久しぶりの下北沢はすっかり姿を変えた。
俺たちも外見こそ すっかり変わったが
あの頃のままのHeart of Goldは変わらない。
と言うことにしよう。