たけちゃんの散策は徒歩で5キロ以上を歩く。
時々の僕の散策は自転車で世田谷を走る。
本当は歩いたほうがいいんだけれどね。
世田谷には 5世紀前半に作られた古墳が
たくさんあって、武蔵の国が意外にも古代から
繁栄していて、大きな古墳を作るほどの大王が
いたことがわかる。その中でも1番大きいのが
ここホタテ型前方後円墳の「 野毛大塚古墳」だ。
古墳が誕生したのは3世紀中盤の奈良。
そして15代応神天皇の子供達がエジプトの
ピラミッド、秦の兵馬俑と並び「世界3大墳墓」に
数えられる 大きさで言うと世界一の
「仁徳天皇陵」を作るまでになってゆく。
お墓というよりは、「 俺はこんなにすごい地位と
権力を持っていて、こんなに凄いものを作る
財力があるんだよ、 みんな俺の仲間になったほうがいい」
という圧倒的なメッセージなのだった。
東京都、川崎市、横浜市一帯を治めていた「大王」も
これに賛同し 大和朝廷連合軍の傘下に入った。
その「大王」が己の権力を誇示したのがここ
「 野毛大塚古墳」なのだ。同じ形式の前方後円墳を
作ったという事はヤマトの仲間になった証でもある。
ヤマトは関東の大王たちの力を借りて
北へ北へと 国家統一の夢を押し進めて
いったんだろうなぁ。
ちなみに大和朝廷が南側の九州を
制圧したのは26代継体天皇の時代。
古代史最大級の大戦争「磐井の乱」で
「筑紫の大王」と 呼ばれていたイワイが
1年半の戦いの末に破れた時だ。
イワイは 大和朝廷と連合していないのでまるで
子分がクーデターを起こしたかのような印象の
「磐井の乱」という 呼び方はおかしいと僕は思う。
筑紫と言うのは今は福岡あたりのことを
言うが当時は九州全般を筑紫と呼んでいた。
つまりイワイは全九州の大王だったのだ。
そしてイワイの本拠地だった場所が
いまの福岡県八女市そう、 八女津姫がいる
あの八女こそが 全九州のメトロポリスだった。
なんかワクワクしちゃうね・・・・私だけ?
自転車に乗ってベルを鳴らし、
古代に思いを馳せながら
私は世田谷を走るのだった。
世田谷をではなく・・・せたが屋へだったかも。
本当の目的地はこっちだったかもしらん。