新しいAlbum「AutumnMorning」の写真をカメラマンの
大川壮一郎さんにお願いした。
「壮」は違う字なのだが訓読みが分からず見つけられなかった。
・・・・・「 大川奘一郎」
大川さんは70年代のフォーク系ミュージシャンに愛されたカメラマンで、長渕剛のほとんどは大川さんだし、吉田拓郎、南こうせつ、正やん、イルカ、浜田省吾と僕の知る限りでもこれだけいる。
ふきのとうの中期やソロの「木精」や「洋燈とガラス玉」も
大川さんに撮って貰っている。
無駄口は叩かず、笑顔を絶やさない小柄な人で、
お酒が入るとテンションが上がった。
アシスタントはほとんど同行させずカメラの機材を詰め込んだ
とても重たい黒のバッグをいつも2コ以上は背負っていた。
ソロになったばかりの頃だったかな、
何かの写真撮影のために沖縄に同行して貰った。
いくつかの写真撮影を終え、コンサートの翌日は午前中から
沖縄の街をバックに撮影しようとなった。しかし、
打ち上げで絶好調になったわたしは、飲み過ぎて
朝撮影出来る状態ではなかったのだが必死でロビーに降りた。
「大丈夫?ツボちゃん。」と言いながら笑っている。
「午前中は浜辺でのんびりしようか、そのうち元気に
なるんじゃない。」といつもの笑顔で助け船を出してくれた。
彼が撮る写真と同じようにいつも優しい人だった。
あの時、知らないうちに浜辺で撮ってくれた僕のポートレートは
他のどんな写真より自分らしいと思った。いまでも好きな一枚。
「AutumnMorning」の「優しい秋」のイメージは
大川さんだなと思い、久し振りに彼に連絡した。
「あちらこちらロケハンして回ったんだけど、
代々木公園がいま最高。」と提案してくれた。
鮮やかに紅葉した枯れ葉舞い散る代々木公園で撮影は行われ、
それはアルバム「AutumnMorning」の表紙になった。
2001年の事だ。そして2008年に大川さんは天国に逝った。
コロナの折りの整理整頓作業で出てきた「AutumnMorning」の
動画は、VHS動画作品の「Year of the Nature」の収録とは
少し違っている。ラストのクレジットがない代わりに
撮影スタジオのシーンがインサートされている。
そこに、大川さんと萱森君の姿もあった。
「ところでさ、あの公園の動画は誰が撮影したんだろう」と
マネージャーに聞いてみた。ぼくはまったく憶えていなくて、
「マジお宝映像」を発見した気分だった。
「私ですよ。何かの資料になると思って撮っておいたんです。」
「そうだったねぇ、素晴らしい。でも編集もなかなかイカした
作品になってるよねぇ。本編とも違うしさ。」
「阿部さんですよ。何かの話の流れで阿部さんが、
俺が作って見ようかとなって、その時のビデオ動画を阿部さんに
そっくり渡したんです。」そうだったか。それでも明確に
思い出せないでいる私だった。(年齢か?)
デザイナーの萱森君も「Crossroad」「君の心の開いてる
ドアから」「夜想曲」「Autumn Morning」を一緒に作った後、
風の噂で天国に逝ったことを知った。
そして動画を作ってくれた阿部さんは、札幌の時代に知り合い,
ツアーから戻ると彼のスタジオに入り浸り「雨上がりの午後」
「何故愛は」「さよなら」等々のデモテープ作りと称して
阿部さんのスタジオで朝が来ても足りないほど遊んでた。
それは東京に戻るまで続いた。
彼の危篤を聞いて彼の住む札幌に僕が到着したその日の夜に、
天に召された親友だった。あれから10年になる。
「Moon Movie」にアップした「Autumn Morning」は、
僕にとって、偶然見つけた天使達からの贈りもののようだ。
とっくに彼らはどこかの惑星で生まれ変わっているに違いないが、
彼らの分もというよりも自分自身が生まれてきて本当に良かった、
彼らと,そして君と出会えてホントに幸せだったと、
誰かに伝えるのではなく己の心が嘘偽りなく得心する人生を
全うしたいと願っている。
天使達の贈りもの「Autumn Morning」を見ていると
そんな思いが頭の中をよぎってゆく。
画面では、「木」に登っているおじさんが「気」になり、
落ち穂拾い?のおじさんが平気で
撮影中の私の後ろをよぎってゆくのだった。