お疲れ様でした。福岡空港でお別れです。
打ち上げでは、スタッフの方々から「来年も来てくれ」的な お話もいただいたが、どうなりますやら。 八女の皆さん、今年もありがとうございました。 八女茶を? ちゃうわ! 九州ツアーの締めの打ち上げは大盛り上がりのうちに終了!
久留米チームもきてくれました。ありがとう。 巡幸されたとき、
「東の山々は幾重にも重なって まことに美しい。 あの山にたれか住んでいるか」 と尋ねられた。 そのとき、案内していたジモティの猿大海がこう言った。 「山中に女神あり。その名を「八女津媛」といい、 常に山中におられる」と答えたことが記録されている。 八女の地名は、ここから起ったといわれている。 でね、このやり取りには実に深い意味があるのよ。 景行天皇に誰か住んでいるのか?と尋ねられたとき、 「山中に女神あり、その名を八女津媛という」と答えた意味は 大挙して兵を従え九州征伐のために大和から進軍してきた景行天皇に「この土地は女が多く天皇と戦う勇猛な男は少ない、山から降りていって貴方と戦うなどと言う考えもありません。山から出ません。」という意味が込められていた。 八女の人々は、無為な戦いを好まず平和の内に共存する意思を 天皇に伝えた言葉だったのだ。 八女の人々は、「Love&peace」を 古代から実践する民族だったのかも知れない。 だから、その心優しき末裔達は私の歌を好んでくれるのだ。 ・・・無理があるな。 「八女市民会館 おりなす八女」に
楽屋入りすると昨年同様「星野村玉露の水出し」を 振る舞っていただきました。 なんと甘い、お茶の「おだし」みたい。 「水出しはどのくらいの時間がかかるんですか?」 「8時間くらいでしょうか。」 「そんな?」 「でも私が寝ているあいだですから、大丈夫です。」 今年もありがとうございました。 来年の鹿児島のホール決まりましたよ。と、
満塩さんと山内さん。 「おやおや、早々にありがとうございます。で、どこ?」 「今日と同じ場所ですが、階が違います。第二ホールですよ。 1階と2階合わせると1000席超えます、1階だけでも700くらいかな、どうです?いいでしょ?」 「ええっ!デカすぎるでしょ!誰がやるの?」 「ツボさんでしょ!」 鹿児島の、いえ九州全域の皆さん、 たくさんの応援よろしくお願いします。 来年9月、45周年の鹿児島をど〜〜〜かひとつ!! 満塩さんと山内さんの「お祝い」がデカすぎる! 感謝!! 「お客さんの雰囲気がいつもと少し違う感じでしたねぇ。」と
打ち上げの時、鹿児島音協の満塩さんがそう言った。 7月の「ザ・フォークコンサート2018」が大変好評だったそうで その高揚感や余韻が客席の皆さんの胸の中にまだ 残っているのかもしれないね、という私達の結論だった。 「穏やかに、静かにうたを聴いている」という鹿児島の印象だったが、今回は最初からテンション高かったね。 でもいつもよりと言うだけで、ロックコンサートになったのではありません。 わたしはどちらがいいと言うわけでもないです。 皆さんが気持ちのままにひととき楽しんでくれれば・・・ね。 昨日、鹿児島ラーメンを食べたのにまたラーメンかい。 と、思うよねぇ。 手前の青いどんぶりが私の「大盛り」ね。 げっ、しかも同じ店だし。 「今日は私だけ行ってくるから。」と言うのにみなさん付き合ってくれるし、「今日も来てくれてありがとう、とお店から鹿児島の絵はがきをもらうし・・・いいコンサートになる予感! とにかく鹿児島のここのラーメンが大好きなんです。
それは山内さんも竹内さんも久保田さんも知っていて 「早めに日向から移動して、遅い昼食は鹿児島ラーメンでいいですね。」と優しい山内さん。 (ほんとはみんなも好きなんですよ) ですが、「日向古代史探偵団」に時間が取られすぎて 夕食の4時間前のランチとなりました。 ラーメンのどんぶり、一つだけ色が違うのがわかる? あの青いどんぶりが私の「大盛り」なのね。 一の宮とは、その土地で一番格式の高い神社を言う。
日向の一番格上の神社がここ「都農神社」だ。 最近は日向にも頻繁にコンサートが出来るようになった お礼も兼ねて初めてお参りに来たのだが、さっきの 「立磐神社」のパワーにやっつけられてしまって、「都農神社」を 落ち着いて味わう事が出来ませんでしたが、 吹く風はなんか新しい透き通った気がしました。 広々した境内と高い青空のせいでしょうか。 ずいぶん前に、座敷童の菅原別館に宿泊した折に
宮城県の塩竈神社に寄った。 主祭神の一人に「塩土老翁神」(シオツチノオジ)という 謎の神がいる。 気になって、調べてみたらこんな文章に出会う。 『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)、『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁、『先代旧事本紀』では塩土老翁と表記する。 『日本書紀』本文の神武東征の記述では、塩筒老翁が東に良い土地があると言ったことから神武天皇は東征を決意したとある。 とか、 海幸山幸の説話においては、海幸彦の釣針を失くして悲嘆にくれる山幸彦の前に現れる。事情を聞くと小舟を出して山幸を乗せ、 そのまま進めば良い潮路に乗って海神の宮に着くから、 宮の前の木の上で待っていれば、あとは海神が良いようにしてくれると告げる。 とか、 天孫ニニギニミコトが降臨する際にもこの「塩ジイ」は ニニギの何かアドバイスをしていると読んだことがある。 つまり「塩ジイ」は天孫族となにかと深い関係があるようなのだ。 そして、この文章だ。 鹽土老翁神を、住吉神、岐神、猿田彦神などと同神とする説もある。(玄松子の祭神記) つまり、住吉神はここ立磐神社がある場所で 大和に船出するために風待ちをしている神武に なにほどかのアドバイスする役目をする地位にいたのだ。 だから、立磐神社の祭神は 「住吉大神」つまり「塩土老翁」なのだ。 どや、今回の妄想は! 歴史評論家関祐二さんの言葉をみつけた! これは凄い! 猿田彦大神が塩土老翁や弥五郎ドンによく似るのは、この神の正体が武内宿爾と考えることでうまく説明がつく。敵に追われたトヨ ... 同段一書第四にもそっくりな話があって、事勝国勝長狭の別名が記され、それは「塩土老翁」のことだったと記している。くどいようだが、塩土老翁は住吉大神であり、住吉大神は神功皇后と夫婦の秘め事をした男で ある。 ... 隼人の祖のうみさちひこやまさちひこ海幸彦もまた、山幸彦の呪術で海に溺れた。 九州は古代史の宝庫だね。 またくるぞ〜! 唄も聞いてね。 縄文時代以前の古代人の信仰は、
「自然界の驚異」に畏敬の念と感謝をもって 接する態度だったんだね。 自分を含め現代人は、科学の発展と技術の進化で 「自然界の驚異」をねじ伏せた気持ちになり、 いつしか「神々」を軽く見るようになった。 我こそ神だと自負したのもつかの間、 「人工知能という神々」に近い将来両手両足を もぎ取られる事となる。そんな事をつい思ってしまう。 神武天皇はこの石に座り、潮目が変わるのを数日待っていた。 船出し、大和に到着すると神武は誰も成し遂げなかった 「全国制覇」に動き出して行く。 本殿にご挨拶して後、左側から本殿の裏を歩いてゆくと、
苔むした巨石群がこの邑の長老会議であるかの佇まいで 私達を迎えるでもなくじっとこちらを見ている気配だ。 凄い!この静かで重たくて、止まっているのに躍動している。 いやいや、好き。この感じ。軽い「ZOKUZOKU」が堪らん! この神社はいつ頃作られたのかは不明のままらしい。
解説によると古代史のヒーロー「日本武尊」のお父さんの 12代景行天皇の時代らしいのだが、それも怪しい。 だいたい景行天皇は137歳まで生きていたとされてるあたり、 日本武尊同様に実在は疑わしい天皇のひとりだ。 そしてこの神社に祀られているメインの神様と言うと、 底筒男命、中筒男命、表筒男命(ウワツツノオノミコト) の三人なんだ。知ってる? 知ってるひとはエライ。 この3人を一人に見立てて「住吉大神」という。 そう、あの「住吉大社」「住吉神社」の神様だ。 海の神様で「筒つつ」は星のことで、 オリオン座のベルト3っの星たとも言われてる。 こんな伝承もある。 仲哀天皇がこの神様のお告げを軽んじた翌朝、 仲哀天皇は死んでしまった。 奥さんの神功皇后が宿した赤ちゃんこそこの国の王であると 告げる。神功皇后の生んだ男の子こそ15代応神天皇で、 宇佐八幡宮の八幡様となった天皇だ。 その応神天皇の父は、夫の仲哀をなくした後に神功皇后の 枕元に現れた「住吉大神」ではないかという説もあるのだ。 チョット、なんだか複雑でこの立磐神社との繋がりも私には いまいちなのだがおそらく「住吉大神」がこの神社(聖なる場所)に政治的な意図を持って後からやって来たと妄想する。 この聖地の本来の「神の依り代」は、本殿の裏側にあった。 歴史談話していると、「お舟出の湯」の従業員の皆さんも やって来てみんなで美々津港を背にしてパチリ! 日向の皆さん!疲れた時には日帰り温泉「お舟出の湯」へどうぞ。 日向の各プレイガイドで昨夜のコンサートのチケットを 売っていたそうだが、ここ「お舟出の湯」のプレイガイドが 一番たくさん売れたそうです。 野分さん、児玉さんの強力な応援があったのかも知れません。 ありがとうございました。 解説と応援!! 「沖に二つの小さな島が見えますね。あの間を通って
初代天皇「神武」(ハツクニシラススメラミコト) の船団は遙か遠い大和の地を目指して 船出したと伝説にはあります。」 「だから、この辺の漁師はあの島の間から船を出さなかった。 何故なら神武の船団のように二度と戻って来ないからです。」 美々津の港を指さしながら、ここ「お舟出の湯」の 施設長の野分さんと営業課長の児玉さんが説明をしてくれた。 天空の楽園「高天原」から九州宮崎の「高千穂の峰」に 降り立った山岳民族らしき一族が、いつの間に船団を組織する 技術を手に入れたのだろう。 ここは、「高天原」という異国の地から船に乗って宮崎あるいは 鹿児島に上陸し最終的に「高千穂峰」の麓に居を構えたと 考えるほうが自然な気もするよねぇ。 あるいは、九州を根城にするパイレーツを配下にしたとか? わたしは「海から船でやって来た天皇家」的ストーリーが好き。 日向の朝を迎えた。
楽しかったがそんなには飲んではいないはずの昨夜の宴会。 なのに何故か太陽が二つに見える。 吉兆とな。 きょうは鹿児島への移動日だが もちろん直行する訳はない。 石神山を教えてくれた太田さんに今回も 「謎に満ちた古代史ポイント」を聞いているのだ。 何が待ち受けているのやら・・・ZINMUさまぁ〜!! いざ、鹿児島へ出発! 日向のコンサートのMCはついつい古代史トークになる。
景行天皇も登ったと言われる日向市 美々津町 田の原区の 「石神山」の巨石ことや、日本最大級の西都原古墳群の中にある 宮内庁管轄の瓊瓊杵尊の古墳に入った話や、 さざれ石と龍神伝説のある日向「大御神社」の話を延々とし出す。 ・・・いままではだ! ちょいと反省を踏まえ、今回はツアーの主軸テーマ、 季節と人生の「秋色の風景」の世界を展開させていただきました。 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |