この神社にはこんな伝説があります。
上色見熊野座神社の祭神健磐龍命は
弓が好きで、よく阿蘇山頂から矢を放ちます。
矢を拾う役目は子分であった鬼八でした。
鬼八は矢を拾うに飽き飽きして
弓矢を足の指に挟んで
健磐龍に投げ返しました。
それに激怒した健磐龍は鬼ハを殺そうとします
鬼ハは逃げますが山にぶつかって逃げ切れません。
上色見の山を越えて逃げようとしますが、
高い岩壁に阻まれ逃げ場を失いますがなんと
岩壁を蹴破って逃亡しました。
その時にあいた穴の跡が「穿戸岩」というわけです。
この伝説はどう考えても古代の戦争だよね。
この神社、なんかすごいことになってきた。
ちなみに
逃げた鬼八は、とうとう高千穂で健磐龍命
に捕まり、首を刎はねられてしまいます。
その首は怨霊となり、毎年暑いころになるまで霜を降らせ、
作物に害をなすようになりました。健磐龍命は、阿蘇宮
のすぐ近くに宮を建て鬼八の霊を祀ったのでした。
平将門の首もアテルイの首もそうだった。
昔はよくはねられた逆賊の長の首が
飛んでたのでした。
大國主が国を作る際も、
10代崇神天皇が国を拡大しようする際も
最強の怨霊を祀り、鎮魂していたもねぇ。
桓武天皇も最強の怨霊から逃げるように
風水に武装された平安京を建造して
遷都したんだったよね。
日本の古代は 理不尽な死を遂げた
怨霊の跋扈する国だったんだよね。
目に見えないもののエネルギーが実在した世界。
どれだけ時の為政者は乱暴な行為の連続で
国家を形成していったのだろう。
いつも僕は敗者の側で歴史を眺める癖がついてる。
だから今回は鬼八さん寄り、だけど
「龍」の親子も本当に天皇家の血族なんだろうか?
さ、鬼八さんが蹴破った岩盤を見に行きましょ。