つまりこういうわけだ。
「伊豫豆比古命と伊豫豆比売命が「舟山」
(本殿に上がる石段途中の左丘のこと)に
船を寄せた時、大岩の頭に船の綱を繋ぎ、
先住民の代表として潮鳴栲綱翁神が天孫を
迎えられたと言う神話が残っている。」
伊豫豆比古命神社を参拝する際には
先立ってまず奏者社に参拝をする習慣がある。
と書かれています。
はるか昔、男女神が船に乗って四国に
上陸した際に彼らを出迎えて道案内を
してくれた地元のおじいちゃんがいた
ということだ・・・・そうとなれば
伊豫豆比古命が四国を開闢したのではなく
すでに国として成立していた伊予と
呼ばれる以前の四国をどこか違う
場所からやってきた伊豫豆彦軍団が
武力で制圧してしまったということになる。
本来、「潮鳴るの爺さま」一族こそが
四国に元々住んでいた人々なんだ。
本殿の真後ろにあったあのお札が
表向きは「伊豫豆比古命」の名を借りて、
実は「潮鳴るの爺さま一族」が古来より
祀っていた古い神様だとしたら面白いね。
そしてそれは誰だ?
そんな疑問が浮かんだとき僕は
ある別の神様を 想い浮かべていた。
サルタヒコの物語とそっくりじゃない。
天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が
地上に降ったとき先導した・・猿田彦大神。
猿田彦は アマテラスの孫の天孫降臨を
先導する役割をはたした神である。
国津神なのになぜ天孫降臨の一行の
道案内をしたのか?
その目的は豊葦原中国(日本)を
平定することをもくろむ天津族勢を支援
することによって逆に国土を鎮護する
ことであったと考えられる。
潮鳴栲綱翁神と猿田彦大神は同一人物?
エピソードが被り過ぎだよね。
猿田彦大神を祀る有名な神社といえば
伊勢神宮のそばにある 猿田彦神社である。
だがもう一つ忘れてならない猿田彦の
神社がある。その名を「椿大神社」という。
猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮
・・・「椿大神社」
伊豫豆比古命神社は「椿神社」
今も松山の市民からそう呼ばれている。
サルタヒコのほうは「椿大神社」
ホームページにはこう書いてあった。
椿大神社は伊勢神宮が今の地に祀られた頃に
創建された、日本最古の神社でもあります。
本宮の椿大神社は天孫降臨の際に神々を
高千穂へ先導した”みちびきの祖神さま”とも
呼ばれる猿田彦大神を祀っています。
境内にはこんな岩も・・・。
サルタヒコを祀る椿大神社には御船磐座
という磐座があります。この御船磐座は
船の形に石を配した磐座です。
「ある神様が船でこの場所に降り立った
という伝説から名付けられたそうです。」
と書いてあった。
ある神様って伊豫豆比古と伊豫比売のこと
なんじゃないの?「この場所」って
「舟山」のことなんじゃない?
社名と故事が似過ぎじゃないですか。
サルタヒコと潮鳴る爺さまは同じ人物に
間違いない。
「出雲の国作り」も「天孫降臨」神話も
みんな古代四国で起こった物語みたい。
天皇家は四国の歴史を隠したがっている。
古事記や日本書紀にも四国の事は
ほとんど出てこない。
ヤマトと四国は昔、何やら一悶着あった
因縁の深い同族だからなんじゃないか・・。
これ、私の勝手な妄想ではありますが。
ゲノム解析した弥生人と縄文人の分布地図を
見て欲しい。 青いのが縄文系で
赤いのが渡来系だ。
大和と四国の民族はまさに同族なのだ。
面白い!
東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介
特任助教と大橋順教授は、現代日本人の
ゲノム中から、縄文人に由来する遺伝的
変異を検出する方法を開発しました。
日本の各都道府県集団の全ゲノムの
情報を用いて縄文人由来変異保有率を
調べることで、現代日本人の縄文人と
渡来人の混血の程度には地理的な
勾配があることを示しました。
古代渡来人が 朝鮮半島から北北九州に
上陸して日本全土に広がって
いったという定説は今や「DNA」
研究の進化によって覆されそうになっている。