春真っ只中のこんな日に何なんですが、クリスマスの思い出。
小学時代のクリスマスの夜、突然、煙突ではなく我が家の玄関から日本語のサンタクロースが入って来た。百貨店のサービスの一環なのだろうが「よい子のみんな~!サンタだよ~!」と笑いながら
玄関の戸を開けて入ってきた若い男女のサンタの姿は、
軽々と純真な子供達のサンタさんへの幻想を奪い去って行った。
赤と白のサンタ服を着込んだ笑顔のカップルが帰った後、反射的に
親の呼び止める声を背中に聞きながら、僕はひとりで雪の降り積もった屋外に飛び出した。どこかでまだ信じたいと思っていたのかもしれない僕の心を大人にしてくれたのは、夜になってもう誰も
通らくなった狭い雪道を、トナカイの代わりにプレゼントを積んだ
ソリを引きながら往来する各百貨店の命を受けた何組かの
サンタクロース集団の黒いシルエットが、彼らが吐き出す
白い息の動きと重なり合って黄色くほの暗い街路灯の照明に、
ぼんやりと浮かんでいるシーンだった。
Happy Christmasと言うよりも禍々しさを僕は見ていた気がする。白髭を外しているサンタもいた。仮面に見えた。
得体の知れない「もののけ」を何故感じ取ったのかは分からない。小さな僕にとってはそんな幻想風景だった。
この夜の出来事は今でも明確な映像となって焼き付いている。
ジョンカーペンターの映画フォッグの落ち武者達のシルエットを
見た時、あの冬の夜の不思議な風景が重なった。
我が家がこの町を引っ越すまでサンタは以来、毎年来てくれた。
(勿論、両親の依頼を受けてだ)
ある年のプレゼントはズシリと重いフォトアルバムだった。
それは手触りの良い青緑のベルベットの地にミレーの「晩鐘」が
縁取られているものだった。新しいフォトアルバムは勿論
Pageを開いてもそこには何もなくただ厚紙が並んでいるだけだ。
子供心に「なぜ、クリスマスのプレゼントがアルバムなの?」
「世界中のどんな子供でも喜ばないと思う。」と思った。
その後、母は私の思い出をそのアルバムに貼り続けてくれた。
これが僕専用の「写真帖」の一冊目となり、1頁目の写真には
父の字で「昭和28年5月写す 1才」と添えられた。
こどもたちのはしゃぐ姿が
木洩れ陽に揺れてる
ひたすら無邪気に走りまわり
時の経つのも忘れ
年月をかけて完成するそんな古い洋書のイメージをBestAlbumに
重ねたくてデザイナーの萩くんに相談して出来上がったのが
あの「Best of Ballade~15篇の物語~」のジャケットだ。
コロナ禍だ、時間は山ほど合った。
そんな事を思い出し「Moon Movie」の「時の足音」でアルバムの
エピソードに触れたのだが、絵画はミレーの「晩鐘」だと思い込んでいたけれどホントにそうだっただろうか?と急に不安になって、納戸にあったメドをつけた段ボールをいくつか開けて見たがあてが外れ、納戸を何度も何度も探して、やっと見つけることが出来た。
表紙の写真をを冒頭に載せてみたが、「晩鐘」じゃなかったね。
ミレーの「馬鈴薯植え」みたいだけれど・・・・なんか違う。
とは言え、大切な宝に変わりは無い。
クリスマスプレゼントだったかどうかは憶えていないけれど、
ベルベットの表紙のPageが尽きたころ、父は僕に新しいフォトアルバムを与えた。その新しいアルバムがミレーの「馬鈴薯植え」
よりも当時の僕を大いに落胆させたことは間違いない。
それは田舎の風景画に「室生犀星」の詩が添えられたものだった。
金沢や軽井沢で文筆していた犀星をいやという訳では無いが、
当時は「世界中のどんな子供でも喜ばないと思う。」と思った。
いくつめかの段ボールの中からミレーさんと一緒に室生犀星さんは
手を繋ぎながら出てきた。僕はその2冊をもうホントに久し振りにそっと手に取ってしばらく眺めていた。いい時間だ。
昔のフォトアルバムはズシリと重くて何かいいねぇ。
今はパソコンに「データ」として保存が当たり前でしょうか。
それにしても、父は私の将来にどんな夢を託して
ミレーと犀星を選択したのだろうか。未だに分かりません。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
室生犀星