瞑想の方法は、ひとつだけじゃない。
禅宗のなかには瞑想中に棒で背中を叩くのもある。
居眠り防止なのか、「あなたの瞑想は正しい方向に
向かっていませんよ」という注意のためなのか。
達磨大師の瞑想法はね鼻先が壁にぶつかる位の距離で座り、
目を半開きにしたままでずっと一点を凝視するというもの。
試してみたが眉間に蟻がうごめいているくすぐったさで中止。
瞑想中は無言だったり、マントラを唱えたり、
呼吸だけに集中したり、光をイメージしたり、
自分のからだが宇宙に届くまで大きくなったり、
見えなくなるくらい小さくなるとイメージをしたり。
修行している金剛薩埵菩薩と同化した自分をイメージしたり、
頭頂から体内に充ちたエネルギーが大きな力強い炎柱となって
天に駆け上がる様を描いたりと・・・。
お釈迦様はその天に昇る火柱で髪の毛を焼いて
あんなパンチパーマになったんだってさ。
(いやいや、わたしはそう聞いたもの。)
とにかく、色んな行法がそれこそ無数にあったんだと。
というか、現代でもそれは行われているらしい。
高度な瞑想は「取扱注意項目」であり、師がもう大丈夫だと
認めた弟子に対してだけ奥儀を伝える「秘法」だったらしい。
トレーニングジムでスポーツの後「ヨガ」の最後に
やっている「瞑想」とは別物な感じですわね。
では「瞑想」って何のためにするの?
実は、その答えを私は知っている。
ここからは、ツボ先生の古代史の解釈と同様、
大いなる妄想が介入してきますよ。
「瞑想」とは「自己探求」そして「超人になる」ための
「カリキュラム」なのだ、理論ではなく実践が宗教の
始まりであり、その学習課程の結果、得られるものがこれだ。
「六つの神通力」
神足通 いつでも好きな場所に移動できる。
天耳通 すべての声を聞き分け、理解する。
他心通 相手の心を読む。
宿命通 だれの前世も知る事が出来る。
天眼通 現在、過去、未来を一瞬で見渡せる。
漏尽通 すべてを知ってしまうこと。
もう生まれ変わらないという事を知る。
「沙門果経」と言う仏典に釈迦の語った言葉として
書かれてあるそうだが、わたしは読んだこともない。
どう、凄くない?今で言う「超能力」だよね。マジで。
テレポーテーション、、サイキック、タイムトラベル。
「月刊ムー」の世界だ。お釈迦様が言ってんだから!
遙か昔から一部の古代人は、肉体を鍛えるのと同じくらいに
心の能力を開発する訓練をも同時に行っていた。
現代人より「魂」というものの本質を理解しようとしていた。
ひとは肉体と心の両輪で走る車。
昔の人は現代人よりも「祈り」「瞑想」をより身近な
こととして「神」との距離を上手なバランスで
生活していたのかなと、都合良く憧れてしまいます。
「瞑想」はそんな世界の入り口に続くアイテムなんかなぁ。
科学の理論に寄り添いすぎた時代はいつか滅びに向かう。
心に寄り添いすぎた時代もやがて淘汰される(・・気がする)
コロナによる「自粛規制」と「経済再生」どちらも大切だ。
それに似てる・・・こじつけ。
まあ、面倒くさい話になっちゃったね。
だがこんな話を見聞するのがそこそこ好きなわたしは、
そんな「「耳だけ理解」を深めるにつれ、
魅力はあるもののちゃんとした?「瞑想」は
私には無理だとの結論に至ったのだった。
まず、師と仰ぐ人を持ちたくない。
その人の経験と人生のフィルターを通した「真理」は
いくら正しいといわれても「私の真理」ではない。
出来るなら「神と私だけのホットライン」が欲しい。
という夢みたいな妄想をするのだ・・・わたしは。
熱心に瞑想のまねごとをしなくなった今でも
「聖なる予言」とか「ザ・シークレット」や「アルケミスト」
なんて本を手にしてはフムフムと楽しんでいる。
そうそう、そんな私にも「これなら俺も行けそうだなぁ」と
思った「瞑想法」があったのさ。
その事を「2話」で話そうとおもったら、
またイントロトークが長くなちゃった。
(コンサートと一緒やねぇ)
このまま、話を終わらす訳にもいかないので「3話」に
続く事になるが、この話、面白くないと思った人・・・
あと一回の我慢だ。
PS
前回の「十分に検討したい」との空海の言葉、どう?
「十分に遣唐使隊」なんだけど・・・・。
やっぱ、スルーかい。
「MAYSON G」座布団三枚!