読書用めがね。まあ、老眼鏡なんだけどね、
あなたも持っているよね。たぶん。
最近、パソコンに向かう時間が増えたので
同時にそれの使用頻度も高くなる。
そのせいか裸眼だと視力がかなり落ちてしまったようだ。
人生で一度も半分も使い切ったことのない「目薬」というモノを
何年かぶりに買ってみようかなと思いつつ、
そして今日もMacの前に座り、めがねをかける。
「MoonMovie」をアップしていて
いろんな「衣装」を着ながら唄う自分のステージを
自分で見ることになるんだけど。
この「衣装」って奴を当たり前のように
「衣装ケース」に忍ばせて歌の旅をするようになったのは
いったい何時の頃からだろうかと、ふと思う。
アマチュア時代、そしてデビュー当時も、着ているものは
「ジーンズと白いTシャツ」だった。
そればかりではないにしろ、当時の「俺たちの時代」としての
象徴が「ジーンズと白いTシャツ」だったような気がする。
「自由」を歌いながら「ジーンズと白いTシャツ」を
「俺も仲間」だと言いたげに、まるで学校の制服の如く
みんなで同じように着ていたあの頃が、ちょっと可愛い。
初めて「衣装」なるモノを着てステージに立ったのは、
北海道では札幌に次ぐ二番目の大きな街、旭川だった。
バンドを従えヒット曲「白い冬」をひっさげてのツアーだった。
「お前達さぁ、ステージも普段もいつも同じ服だけど
衣装とかないの?」楽屋に来てそんな事をボソッと言ったのは
コンサートに同行していた、北海道のイベント会社ウエス社長の
小島さんだった。アマチュアの頃からの付き合いで、
小島さんがウエスでバイトしている頃からだ。
「何で?衣装なんて着たことないよ。」
「かっこ悪いよ、衣装なんて。」
「衣装」という言葉の響きは「ザ・芸能界」を連想させた。
「でもさ、大きいホールなんだから少し小綺麗な服着れば?」
「いいんだよこれで、それに急に言われても持ってないよ。」
「買ってやるよ。本番までにはまだ時間があるからさ、
駅前の百貨店にいますぐ買いに行こう。」と小島さん。
その時は、何でそこまで要らぬお節介をするのかと思ったが、
あの当時「ふきのとう」のデビューは札幌の音楽関係者の
夢でもあったのだろうと、今なら分かる。
北海道から初めてデビューしたフォークグループだった。
結局、小島さんの熱意にほだされて百貨店のメンズフロアーで
あれこれ「衣装」選びをしたのだった。
その衣装でいざ出陣と相成った。しかし、小島さんには
申し訳無いが,その時買って頂いた「白いスーツ」は、
そのツアー以外で着ることは無かった。
まだ若かった。
暮らしの中で日常と非日常があることは良いことだと思う。
コンサートは、日常に限りなく近い非日常だと、
唄い続けて行く中で僕は僕なりにそう理解した。
だから普段着ではない「普段着」で唄ってもいい。
普段着ではない「普段着」でホールに集まるのもいい。
今は、衣装を買うことが大好きだ。
最近は仕事を越えているとマネージャー様に指摘されている。
似合う、似合わないではない。ワクワクするか否かだ。
ただ、心配事がひとつ。
いつか着てみようと買っておいた、いくつかの
ジャケットのボタンが・・・・止められない。