「お昼は何にしますか?」と斉藤さん。
「あの、昔狸小路7丁目にあった富公の暖簾を店内に飾ってるラーメン屋さんがあるんです。」
「へぇ、富公があった場所で「一徹」という名前で営業している徹
ッちゃんのお店の他にも富公の味を継いでいる店があるの?」
「店主は僕の友人ですが彼はフロアー担当で、
ラーメンを作る職人はちゃんと他にいるんです。
二人とも富公の常連だったらしいです。」
7丁目の富公のオヤジは、年中白いステテコの上下に
キャメル色の腹巻き姿、素足に下駄を履いて
黙々とラーメンを作っていた。
眼光鋭く店内の壁沿いに順番待ちで並ぶお客を、
立ちのぼる湯気の向こうから睨みつけていた。
ずっと昔、私が閉店時間ぎりぎりに着くと、
おやじは丁度暖簾を下ろしているところだった。
「おっ、お前か入れ。」と言われたので暖簾をもって
店内に入ってゆくオヤジの後ろをついて行った。
いつも6〜7杯まとめてつくる人気店のオヤジが作る
「ひとり分」のラーメンの味は格別だった。
「プシュっ」と音を立てて、カウンターでラーメンをすする
私の隣に座り缶ビールを美味そうに飲んでるオヤジが懐かしい。
オヤジが身体を患って、閉じたままになった店のシャッターに
いつしか常連客がマジックで「書き込み」をするようになった。
「オヤジさん早く元気になって。」
「あぁ〜富公のラーメンがたべたい」
「いつ来てもシャッターが閉まっていてさびしいです。」
そんな、書き込みのひとつを読んで笑ったことがあった。
「おやじさん、体型を直して戻ってきてね。」
それは「体型」ではなく「体調」だろう。
「一徹」もそうだがおやじが天国に行っても勝手に
「味を継いでる」もの達がいる。
本物ってこう言うものなんだなぁ。
愛されるってこういう事なんだなぁ。