私は「麸」がすきだ。
僕の生まれた北海道では、 うどんそばはもとより昔はラーメンにも麸を入れていた。 それが原因ではないだろうが私は本当に麸が好きだ。 「麸なんてものはいろんなスープを吸い込んでいるだけで 自分なんてものを持っていやしない・・・そんな食いもんだ。」 それを承知でわたしは麸が好きだ。 うなぎ屋さんで食べた「生麩田楽」は京都から取り寄せているそうで、もっちりとした歯ごたえがありしっかりと自分を主張しつつ 各味わいの味噌を引き立てていた。 今西どんから「今度、京都でも探しておきましょうね。」と 前向きなお言葉をいただきました。 本日のライブ会場「ASIVI」に向かう前に
渡さんの案内でうなぎ屋さんに行く。 なんかあまり「奄美でうなぎ」はピンとこないんだけど 関東のように蒸さないでナマのまま蒲焼きにする。 だから歯ごたえが良くワイルドで美味かった。 「うなぎ〜〜。」な味わいでした。 彼は渡さんの息子のゲンちゃんです。 2009年の皆既日食の時に一緒に海で遊んだ仲なんです。 再会するのはあれ以来なので5年振りになるのかな? ゲンちゃんはすっかり「少年」になっていました。 だって、5年前はまだまだ「かわいい男の子」だよね。 こんど会うときには「イケメン」になってそうだよ。 おじさんも5年も経てば「地味に老けてる」もね。 それやこれやで、奄美で催してくれたBIRTHDAYpartyは
楽しく過ぎていったのでした。 この3人様で奄美流のBIRTHDAYSongを唄ってくれました。 (右から太利さん、渡さん、上野さん。) 嬉しかったので動画を撮ったのだが、 なぜか縦にしか再生できませんでしたが、 この「おめでとうコール」のような楽しい歌声を楽しんで欲しくて アップしてみました。 3人様・・・ごめんね。 BIRTHDAYSongにすっかり喜ぶわたし。
素晴らしい料理が並んでおります。 partyの主催の渡さんは、バーベキューを予定していたのですが、 徳之島出身のお母さんが「それなら島の家庭料理も食べていただいたら?」という一言から「じゃあ、あれもこれもつくりましょう」ということで・・・準備に丸3日かったそうです。 突き当りの壁際には、各種の煮物が入ったお鍋も並んでます。 奄美の皆さんが、歓迎会&BIRTHDAYpartyを開いてくれました。
有り難いことです。 奄美ライブ前夜祭ということで、ぱ〜っといきまっせ。 奄美行き便が欠航となり、
PMのまっちゃんや竹山くんが航空会社と交渉。 飛行機を乗り換えて今日中に行けることになったのだが、 「沖縄=鹿児島=福岡=奄美」経由だという。 「他にはないですか?」とまっちゃん。 「ありません。」と航空会社のカウンター嬢。 「たしか、与論経由があったはずだが。」とまっちゃん。 「いえ、ありません。」とカウンター嬢。 いやそんなはずはないとまっちゃんは自分の会社に電話する。 「調べてみたら与論行きはまだ三席空きがありますよ」との返事。 その旨を伝えると 「少々お待ちください」とカウンター嬢奥に引っ込む。 しばらくして再登場し 「大変申し訳ありませんでした。与論経由があります。」と言う。 で、私たちは与論経由で奄美に向かうことになったのだが・・・ カウンター嬢の認識不足を嘆くべきか、それとも まっちゃんのブルドーザーのような行動力を讃えるべきか! なんだか流石なエピソードであった。 都留さんの気持ちもわかる。 沖縄で食べるステーキは、 ある意味「青春の味」のひとつなのである。 食欲旺盛な20代の僕達はコンサートで沖縄に来るたびに 必ずこのステーキを食べたものだ。 当時のステーキハウスはアメリカの軍人さんたちも多く 店内はまるで外国のようだったので、 その独特の雰囲気にも魅かれていたんだろう。 あの頃は2皿くらい平気で食べるやつもいたが 今夜は何人かでシェアしながら・・ステーキと思い出を味わう。 62歳、最初の夜の感想は「もうお腹がいっぱい。」となる。 この一年もお腹いっぱい楽しむことにいたしましょう。 普通なら2件目といえばショットバーあたりで
軽くスコッチやらワインな訳です。 せいぜい行っても、「シメのラーメン」というところでしょうか。 しかし予定通り今夜は つるさんが沖縄に来たらぜひ行きたいと言っていた ステーキハウスで「シメのステーキ」とあいなった。 BIRTHDAYCONCERTに集まってくれた沖縄のみなさん
そして全国から集まってくれた篤いファンのみなさん。 ありがとうございました、そしてこれからもよろしく! こうして僕らはひとつひとつ・・・歳を重ねてゆくのだけれど 時折、世の中の時計の針が、知らぬ間に僕ら自身の心のテンポを 追い越してしまっている様な感覚に囚われる事ってありませんか? 所謂、気づかない内に「時代遅れな奴」になっちまってたのか ・・おれ・・みたいな。 そりゃ今の時代が素敵で魅力的だと思うなら 無理してでもついて行くこともまたよしなのだが、 どうだろういっそ「時代遅れ」のペースで歩いて行くってのも アリなんじゃないか。 風のように過ぎてゆく時代ってなんだ? 悲しいかな日本音楽産業に限れば「時代」とは 「若者の作り出す音楽」ということになるのかもしれない。 つまり70年代80年代は僕達が 「時代の音楽」を歌っていたのかもしれない・・若者として。 ぼくはこの頃、自分のボーカルにワクワクしている。 これからの僕がどんな表現が出来るのか毎回毎回楽しみなんだ。 出来た時もあれば、 やっと獲得したと思っても、またすぐに手放すこともある。 笑えるほど逆戻りして、妄想だったのかなぁと夢から醒める。 そしてまた試してみる。 誤解を承知で言うと 僕が唄うものは今の時代をではなくもいい 同じ時代を歩いて来た仲間達の心の中に 今でも生きている時代というものを唄いたい。 それはボクの心にとっても 「時代という名の永遠」なのだから・・・。 いろいろな表情をしながら
自分の40年間・・そして沖縄と僕との深い関わりを 思い出を重ねながら話しているのだろう。 沖縄が僕のことを愛してくれている情熱は 本当にありがたいと思う。 「これでよかったんだ、そしてこれからも頑張ってゆくんだ という決意と勇気をもらえる。」 |
私なりの絵日記 つぼっち探偵団 数えてみれば もう10年ですねぇ 飽きっぽい私ですが ついつい皆さんの リアクショと応援に 後押しされてここまで 続けることができました 自分のペースでのんびりと報告していきます これからも時々 様子を見に来てください |