折角だから使わせていただきました。
70年代に来日した外タレは、緞帳を使わなかった。
単に慣れていなかっただけかもしれないが、
「緞帳があるのに使わない」ことが、
かっこよくみえたのだった。
アメリカンミュージックばかり聞いていた僕は
緞帳が歌謡曲や演歌のアイテムのように思えた。
そんな思いから僕のコンサートでは緞帳は使わなくなって行った。
なのに何故今頃になって緞帳か?
それは僕のココロが今は演歌、歌謡曲と近いからだと思う。
コンサートで演歌を歌いたいというのではない、
だが歌謡曲を聴いてもあの頃ほどに違和感がないし、
演歌歌手の歌唱力のレベルの高さに脱帽すること
しばしばなのだ。
特に、居酒屋のカウンターでしみじみ飲んでいる時は効く。
そんな状況は滅多にないのだが。
要するに思想や趣味を超えていいものはいい。
細坪はホントにそこまで思って、今回緞帳を使ったのか?
いえ、ただ面白そうだったからです。
北野文芸座に来てくれた皆さん、どうでした?